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「すぐ使える英語表現」更新のお知らせ [掲載]

第224回は discount(割り引いて聞く) というフレーズです。

https://www.hicareer.jp/inter/housou/17817.html

どうぞよろしくお願いいたします。


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ハムスター [日々の暮らし]

横浜に暮らしていた幼少期の頃。

兄弟のいない私は「妹か弟が欲しい」と言っては母を困らせて(?)いました。
そのころはまだ近所も3人兄弟の一家が多く、
そうしたご家庭がうらやましかったのでしょうね。

当時はゲームもスマホも無い時代でしたので、
お友達と暗くなるまで外で遊んでいました。
親から譲り受けた、刃の切れなくなった小さなカッターを
包丁に見立てて、中学校の土手の草を切ってはおままごとに
興じていました。役割分担では、お友達の妹・弟さんたちが
私の弟妹という設定です。のどかな時代でした。

8歳に時に父の転勤で海外へ引っ越してからも、幸いなことに
近所にはたくさんの日本人駐在員一家がいました。おかげで
遊ぶ相手には不足せず。乳幼児のいるご家庭には私の方から
勝手に押しかけてはベビーシッターのごとく、
遊ばせてもらっていました。私がそうした赤ちゃんたちと
遊んでいる間、お母様の方は家事をしたりちょっと一服
されたりしていたのでしょう。「今日はありがとうね」とおやつや
お土産をいただいたことを覚えています。

それでも家に帰れば一人っ子であることは変わらず。
当時の母は慣れない海外生活で体調を崩しており、私にとって
家というのは「心地良いけれども、ちょっと寂しい場所」でした。

そうした理由もあったからなのでしょう。
お友達がハムスターを飼っているのを見て「私も欲しい」と
言った際には、両親もあっさり合意してくれました。

飼っていたのは2年間。ロンドンへの引越を機にお友達に
引き取ってもらいました。名残惜しくはありましたが、
当時は何かと手続きが煩雑だったのか、一緒に連れていけないという
ことに、あっさり私自身が納得してしまったようです。

あれからずいぶん年月が経った先日のこと。

かねてからハムスターを飼いたいと言っていた娘の誕生日に
ハムスターをプレゼントしました。買う前にしっかりと飼育法の
リサーチをすること、自分できちんと面倒を見ることなどの
条件をクリアした上でのことでした。

そうして我が家にやってきたゴールデンハムスター。
娘以上に私の方がメロメロになっています。
忘れていた幼少期の思い出が鮮明によみがえり、
もう一度、楽しかった記憶を掘り起こすことができています。
時間を戻すことはできなくても、このようにして
ふとしたきっかけが、眠っていた大きな宝物のふたを開けてくれるのでしょうね。

娘と一緒に、大切に育てていきたいと思っています。
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第一三共・中山譲治会長のことば [日々の暮らし]

通訳の仕事をしていて良かったなあと思うことはたくさんあります。
大好きな英語に携われること、未知の単語やフレーズを学べること、
知らなかったトピックに関心を抱けることなどです。

通訳の勉強を通じて、「色々なことがこの世界にはあるのだなあ」と思うと、
たとえその最中に自分が大変な状況下にあっても、
広く視点を持てるような気がします。
実際、私自身、それでずいぶん救われてきました。

通訳業務を通じて企業トップの方のお話を伺えたのも、
私の人生ではとても大きいものでした。私などフリーで
仕事をあちこちでしていますので、組織の大変さというのは
ほぼ、小説や映画の世界にとどまってしまいます。

けれども「会社」という集団の中で日々の仕事を行い、
責任ある立場になるというのは、私などからは想像を絶するような
苦労を皆さん、されていると推測します。これは何もトップに
限ったことではなく、集団に身を置けば、誰もが
大変なことを経験されているのでしょうね。大卒後に数年間、
会社勤めをしてきたことから、かろうじて私が言えることではあるのですが・・・。

さて、今回ご紹介したいのは、日経新聞日曜版に出ていた
インタビュー。日曜日にはThe STYLEという特集ページがあります。
5月17日に出ていたのは、第一三共の中山譲治会長です。
サントリー勤務を経て第一三共へ転身されています。

仕事に向き合う上で感じたことを、中山会長は次のように述べていました:

「実際は流されてここまで来たのかもしれないが、
やるべきだと思う方向に進むことが重要。
要は、自分が選んだかどうかということ」

「思い切りやったら無駄な経験はない」

どのような世界であれ、どういった環境に置かれているのであれ、
人生というのは目の前に選択肢を提示され、
それを自分自身が丁寧に考えて選んでいく。
その繰り返しなのだろうなあと思います。

(日本経済新聞2020年5月17日日曜日)
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今日のロイヤル英文 [英語]

今日も接続詞が続きます。

*p545
The children were playing in the garden, when a host of grasshoppers came flying.
(子供たちが庭で遊んでいたらバッタの大群が飛んできた)

→随分前に見た映画「大地」(パール・バック原作)。
この中にバッタ(イナゴ)の大群が出てくるシーンがありました。
なぜかそれを思い出してしまい、怖くなってしまった・・・。

*p548
Hardly had I started when my car got a flat tire.
(出かけようとしたとたん車がパンクした)

→自転車では何度か経験アリ。車だったら結構大変かも。

*p552
Now (that) we've eaten all the sandwiches, we'll have to make do
with potato chips. (サンドイッチを全部食べてしまったのでポテトチップで
間に合わせなくてはならないでしょう)

→「ポテトチップス」ではなく「~チップ」という表記が何となくレトロ。
これって一体どのような状況下での文章かしら、とつい気になります。
「本来夕食に残しておくべきサンドイッチ。これを昼食で平らげてしまった。
よってお夕飯はポテチのみ」というシチュエーションは、ちょっと悲哀。

明日も接続詞です!
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便利さと引き換えに [日々の暮らし]

コロナウイルスの拡大を防ぐため、今後はスマートフォン内蔵の
機能を使って追跡調査もできるのだとか。技術の進歩というのは
本当に目覚ましいと思います。確かにこうしたものが
あれば、更なる拡大を防げるでしょうし、どこが安全かといった
情報も瞬時に得られるはずです。

けれども私自身、こうしたニュースを通訳するにつけ、
どんどん小説「1984」が到来しているように思えて
しまいます(実際の本は読んでいないのですが)。
世の中が監視社会になってしまう、自分が監視されるだけでなく、
自分も知らず知らずのうちに誰かを監視してしまう。
これでは心身が休まらなくなってしまいます。

随分前のこと。たまたま住宅関連の通訳勉強をしていた際、
マンションなどについてリサーチしたことがありました。
以来しばらくの間、インターネットを開くたびにマンションや
別荘の広告が表されるようになってしまったのです。
こっそり検索していても(?)ネットは覚えていますので、
そうした表示をしてくるのですよね。

最近でこそ、そうした事後の広告には慣れっこになって
しまったのですが、よくよく考えてみると、何だか空恐ろしい
感じがします。私の思考回路の中まで読まれているように思えるからです。

人間というのは、本来自由であって良いと思います。
どこへ行くか、何を考えているか、何を好むか、
どういうものを食べるかなどなど、自分だけの世界を
味わっても構わないと私は考えます。

ゆえに、デジタルワールドがそれを追いかけてくる、というのは
便利さと引き換えに私たちが売り渡してしまっていることなのかも
しれません。

そうなるとますます、便利さを少し我慢してでも
自分らしさを守っていきたいなあと思います。
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「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第444回がアップされました。
タイトルは「自分が傾注できることを探す」、
書籍紹介では「ホイットマン詩集―アメリカ詩人選(2)」
(ホイットマン著、木島始編、岩波文庫、1997年)を取り上げました。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/17840.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。
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今日のロイヤル英文 [英語]

今日は接続詞です。

*p530
He refuses to join a book club, nor will he use a library.
(彼はブッククラブに入るのを断っているし、図書館も利用しないでしょう)

→ブッククラブというのは、本の愛好家たちが集まって本について
色々と話し合うサークルのようなもの。そういえば子ども時代、
イギリスでは「通販型のブッククラブ」なるものがありました。これも英語で
book clubと言います。確か定額を支払うことで、ブッククラブ会社が
毎月適宜3冊ほどを選んで送付するというサービスでした。
気に入らない本があれば返本して、
別の本を送ってもらうというものだったと記憶しています。

*p532
Either you leave the house or I'll call the police.
(あなたが家を出ていくか、私が警察を呼ぶかどちらかです)

→うーん、何とも穏やかでない光景。・・・っていうか、
単純にコワイ。

*p535
Shut your mouth, (or) else I'll hit you!
(黙れ、さもないとぶつぞ)

→これもまたコワイ。接続副詞else(さもないと)を使った例文なのですが、
もう少し穏やかなものでも良いかと。電子辞書のウィズダム英和辞典では
Try harder, or else you'll fail the course.
(もっとがんばりなさい。でないと落第するよ)という文章でした。
留年はイヤだけど、ロイヤルの例文よりは穏やか。

明日も接続詞が続きます。
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ツバメ [日々の暮らし]

6月ぐらいまではどんどん日照時間が延びていきます。
目覚ましをかけなくても自然と目が覚め、近所をお散歩する。
コロナが始まってから、このささやかなルーティンが
いかに自分に気力を与えてくれているか、しみじみと感じます。

朝は色々な鳥も目覚めています。スズメの可愛い鳴き声もあれば、
威圧感たっぷりのカラスの鳴き声も聞こえてきます。
数週間前には、とある店舗の軒下をせわしなく出入りする鳥を発見。
ツバメでした。

ツバメには思い出があります。

確か幼稚園時代のクラスがツバメ組だったこと。

そして小学校4年生で転入したイギリスの学校で、
"Swallows and Amazons"という本を友達が読んでいたことです。

この書籍は日本でも「ツバメ号とアマゾン号」として和訳されています。
翻訳者は神宮輝夫さん。岩波少年文庫から出ています。
初めて日本で出版されたのは1958年だそうです。

まだ英語がわからず、クラスの中でも孤立していた私は、
クラスメートが熱心に読んでいたこの洋書の分厚さに圧倒されました。
ただでさえアルファベットもろくに読めない私にとって、
その子が手にしていたハードカバーは別世界でした。
彼女は休み時間になると、その本を取り出しては
夢中になって読んでいたのです。

日本の単行本は活字も大きくイラストもたくさん。
一方、彼女が読んでいた本は文字も小さくて大人が読むような装丁でした。
彼女が私よりも遥か先を歩んでいるような気がしました。

当時、他の本で人気があったのは、

"Black Beauty"(「黒馬物語」)、
"Watership Down"(「ウォーターシップ・ダウンのウサギたち」)、
"The Famous Five"(「五人と一匹」シリーズ)

などでした。いずれも私には手が出ませんでした。

「黒馬物語」に関して思い出すのは、クラスメートの一人が
家で馬を飼っていたこと。他にも大豪邸に住んでいる子がいるなど、
私にとっては刺激の多い小学校の現地校でした。
もっとも、大多数の子は普通の家の子だったのですが、
何分、田舎だったため、女の子を持つ地元のご家庭にとっては
その女子校が一番通いやすかったのでしょう。

そしてその学校も少子化のあおりを受け、2008年に別の学校に
吸収されました。私が慣れ親しんだ校名は無くなりました。、
Navy blueと言われる、イギリス海軍の制服から来た濃紺色のプレートに書かれた校名は、
新たな校名になり、銘板もそのカラーになったのです。

朝のウォーキングでツバメを見て、昔の書名を思い出し、
子ども時代を頭の中に再現できたのは、私にとって幸せでした。

記憶のかなたに追いやられてしまったとしても、こうして
何かのきっかけでまた自分の所に来てくれるのでしょうね。

そのことが嬉しかったです。
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今日のロイヤル英文 [英語]

受動態のページもあとわずかとなりました。

*p517
It seems that the president was implicated in the bribery scandal.
(大統領は汚職事件に関わっていたようだ)

→放送通訳の仕事をしていると、つい「現在形」で考えてしまいます。
深読みし過ぎ・・・?

*p520
The priest offered the girl a ride, and his offer was gladly accepted.
(牧師が娘に車に乗りませんか、と言うと、その申し出は喜んで受け入れられた)

→個人的にはこの例文、登場人物を変えた方が良いと感じます。
何しろここ数年、教会と聖職者の問題が何かとニュースになったので。

*p525
The mayor had his straw hat blown off.
(市長さんは麦わら帽を風で吹き飛ばされた)

→頭に描いた光景は、アメリカの中西部。トウモロコシ畑を
視察する市長さん。急に風が吹いて帽子が飛ばされるというシーンです。
ちなみに通訳をしている際には、聞こえてきた英文を頭の中に
空想することが大事と言われます。

明日からは接続詞です。
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薄くなった看板の文字 [日々の暮らし]

長年同じ街に暮らしていると、少しずつ街の光景が変化していることに
気づかされます。古い建物が取り壊されていたり、道路が区画整備で
移動していたり、新たなお店ができていたりという具合です。
「どう見ても以前ここはコンビニだったはず」という外観の建物が、
クリニックや塾などに変わっていることもあります。

時の流れにより、物事というのは変化しているのですよね。
人間が日々、色々なことを考えて少しずつ成長するのと同様、
街も生まれ変わっていくのだと思います。

先日、歩きながら注目したのは「お店の看板」でした。

我が家の周りには、ぽつりぽつりと商店だったと思しき
建物があります。普通の2階建て住宅なのですが、1階の部分が
引き戸であったり、1階の上の部分に看板がかかっていたと
思われる痕跡があったり、という具合。

スーパーや大型ショッピングセンターができる遥か前には、
こうした地元のお店に人々が徒歩で、あるいは自転車で
買いに来ていたのでしょう。駐車場など設けられていませんので、
もともと自家用車所有率が極めて少ない時代に、こうした
商店は栄えていたのだと思います。

うっすらと文字の残る看板を、目を凝らして読んでみると、
そこは元・金物屋さんであったり、スナック(という語もレトロ?)で
あったりしたことがわかります。シャッターは閉まったままです。
かつてお客さんで賑わっていたころの日本は、あるいは、
この地元地域というのはどんな雰囲気だったのかしら。
そんな思いにかられます。

看板に添えて書かれているのが「電話番号」です。
最近は飲食店を始め、色々な電話番号が携帯番号であったりします。
けれども昔は固定電話のみ。文字が薄れて消えかかった
そうした商店の看板に出ている電話番号も、市外局番からではなく、
市内局番からのみとなっています。

しかも、この市内局番。

以前、この地域の電話番号というのは、

「市外局番4桁+市内局番2桁+加入者番号4桁」

だったのですよね。

よって、看板にうっすらと残っているのが
今だに市内局番2桁であるのを読み取ると、ますますレトロ感が募ります。

ちなみに私が幼児期の父方の田舎の電話番号は、

「市外局番5桁+市内局番1桁+加入者番号4桁」

でした。今はその街も「3桁+3桁+4桁」になっています。

あの5桁の市外局番は、私にとって「東京からの距離感」に匹敵していました。
それぐらい、当時の日本は私にとり、大きく広く思えたのでした。
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