SSブログ

放っておく [日々の暮らし]

とある組織で働いていた際に私が目撃した光景を
今日はお話します。

その日、私は上司や先輩方複数で食事に行きました。
そこにいらした方すべてが私にとっては尊敬に値する
方たちでした。お話も面白く、後輩である私の面倒見も良く、
とても親切にしていただいていました。

けれども、私はとあることに気づいてしまったのです。

それは、尊敬していた上司の態度に関してでした。

皆で楽しく話していたときのこと。その上司が私の
先輩に対してとる言動に私は違和感を覚えたのです。

表向きはごく普通の会話でした。けれども、見る人が
見れば、明らかにその言動にはとげがあったのですね。
詳しく観察しなければ気づかない感じがしました。
現にその先輩もごく普通に対応していました。

でも、上司の一言や視線などを見るにつけ、もし私が
その先輩だったら、これは明らかに「いじめ」のような
ものではないか、そう感じたのです。

もちろん、私の勘繰り過ぎとも言えるでしょう。
でも私には敏感に感じ取られてしまったのでした。
「本人にしかわからない嫌がらせ」というものだったのかも
知れません。

その後しばらくたってから、まったく別の場面で、
私自身がそうしたことを実体験しました。
とある方とのコミュニケーションにおいてです。

表向き、その方は実に「いい人」だったのですね。
物腰も柔らかく、口調も穏やか。誰が見ても
「あの人、良い人よねえ」というようなタイプです。

けれども、当時何が理由だったのかはわからないのですが、
私「だけ」が分かり得る言葉のトゲを感じとったのでした。
それは返事の「ハイ」であったり、「どうぞ」という言葉で
あったり、いずれにせよ本当に短い単語なのですが、
当事者にしかわからない、というものでした。

学生時代の私であれば、そうした微妙なやりとりに
焦り、慌てて悩み苦しんだと思います。けれども
その時の私は「これは私自身の問題ではなく、
相手本人の心の問題。放っておこう」と思うことに
したのですね。

それでずいぶんと気が楽になりました。

以来、「放っておく」は私にとって大事なキーワードに
なっています。
コメント(0) 

頑張り過ぎをどうする? [日々の暮らし]

このブログを読んでくださる方の中には、英語の学習が
好きであったり、あるいは通訳者をめざしていたり、
または、すでに稼働中という方もおられることでしょう。
「勉強が好き」「好奇心旺盛」「頑張って何かを成し遂げるのが
楽しい」という方もいらっしゃるかもしれません。

私はというと、小さいころから目標を決めて計画を立て、
それをこなしていくことに喜びを覚えるタイプでした。
もちろん、いつもスムーズに行ったわけではありません。
試行錯誤をしつつ、「こうすればうまく行くかな」という
パターンを自分なりに考えて実行しては軌道修正をする。
そんなことを繰り返してきました。

たとえば英語関連の試験。

試験日を把握したら、その日から逆算して勉強計画を
たてます。問題集をいつやるか、どれぐらいの分量を学ぶかなどを
プランニングするのが楽しいのですね。
計画が決まったら、あとは実行するのみ。
そのようにして学んだ結果、試験も突破できたとなると、
喜びもひとしおでした。

このような手法というのは、「人間以外」であれば
うまく行きます。何しろペースを決めるのは私。
軌道修正をするのも私だからです。

一方、このやり方が通用しないのが「人相手」の場合。
何分、相手にも感情というものがあります。
タイミングもあるでしょう。私の方で相手の機嫌を伺って
対策を立てたところで、先方が上機嫌になるとは
限りません。

でも、私の場合、先の受験計画のようなパターンが染み付いて
しまうと、人間関係でもこの秘策(?)が使えると
つい思い込んでしまったのですね。

その結果、どうなるかと言うと、私の方でつい頑張り過ぎてしまう。

私さえ努力すれば状況は好転する「はず」という、
何ともまあ根拠のない自信(?)にすがってしまったのでした。

私はこうした自分のパターンが長年染み付いていました。
しかもそれを「良し」と信じて疑わずに生きてきたのです。

けれども、そうした価値観を自分が取り続けた場合、
自分が幸せになれるわけではない、とようやくこの歳になって
思うようになりました。

「私自身がモヤモヤ感で暮らした場合、周囲に良い波動を
送れるわけがない。」

そう気づいてようやく、「自分は変わらなくては」と思ったのです。

自覚してまだ日が浅いのですが、今、このライフステージで
これに気づけたのは恵みだと思っています。

人生は一度きりです。だからこそ、不要な頑張りを自分に
課さなくても良いのだと最近は考えるようになりました。

ということで、これもまた試行錯誤です!
コメント(0) 

アンケート [日々の暮らし]

私は昔からアンケート懸賞なるものが好きで、子どもの頃から
せっせと応募していました。質問に答えて葉書(当時はそんな時代)を
投函すると、抽選でプレゼントが当たるというものです。
商品数が少なければ当たる確率が少ないのは頭では
わかっていたのですが、「葉書に答えを書く→投函する→
プレゼントが当選するかもしれないという淡い期待と共に過ごす」
というサイクルが私にとっては嬉しいものだったのですね。

ところでアンケートと言えば、近年は大学の授業においても
学生がその授業や教員を評価するものがあります。
セミナーなどのイベントでも、アンケートは必ずといって
良いほど、最後に書く時間が設けられていますよね。
私自身は自分がアンケートを書くのが好きでしたので、
私の授業に対するアンケートを読むのも大好きです。

たとえば数週間前に終わった大学の授業のアンケートでは、
私が思いもよらなかった楽しい授業内活動を提案してくれた
学生がいました。「なるほど~、これは楽しそう!よし、
来学期はこれをやろうっと!!」と今からワクワクしています。
わざわざ時間を割いて書いてくれた学生たちには
本当に感謝です。

一方、ずいぶん前の事。とあるセミナーの事後アンケートを
見たところ、次のような意見がありました:

「内容は楽しめたけれど、本当は〇△□[×]の話を聴きたかったので、
ちょっとがっかり」

この文章を読んだときの真っ先の私の反応、それは、

「もったいない~~~」

というものでした。

と言いますのも、セミナー内で私は何度も「何か質問は
ありませんか?」と参加者に尋ねていたのです。
さらに最後にはまとまった質疑応答タイムも設けていました。
ですので、そこでその方が私に対して尋ねるチャンスは
何度もあったのです。

書いてくださった「〇△□[×]」のトピックは、他の参加者に
とっても実に有意義なものになったはず。ですので、
その方が勇気を出して私に尋ねてくださっていれば、
ご本人はもちろんのこと、参加者全員にもプラスの情報が
提示されたはずです。

うーん、本当にもったいない。

アンケートというのは将来に向けての改善につながりますので、
実に貴重なツールです。けれども、それと同時に大切なのは、

「もし本気で何かを尋ねたかったり、修正してもらいたい
という思いがあるのであれば、参加者の方も勇気を出して
声を上げることが大事」

ということだと思います。せっかくのチャンスを無駄にするのは
本当に惜しい。私など、授業内での発言・質問は大大歓迎
ですので、ぜひ遠慮せず、何でも声をあげてほしいなあと思っています。
コメント(0) 

「すぐ使える英語表現」更新のお知らせ [掲載]

第230回は drain the swamp(問題を解決する)というフレーズです。

https://www.hicareer.jp/inter/housou/18902.html

どうぞよろしくお願いいたします。

コメント(0) 

為末大さんのことば [日々の暮らし]

日経新聞の中でも気に入っているのが最終ページに
掲載されている「交遊抄」というコラムです。
これは様々な世界で活躍中の方が、自らのご友人について
綴るというもの。実は数か月前、日ごろ私がお世話になっている
先輩のお名前が紹介されていて、とても嬉しく思ったことが
あります。人と人のつながりの素晴らしさを改めて
感じることのできるコラムです。

8月14日に寄稿されていたのは元陸上選手の為末大さん。
タイトルは「独学の人生」です。為末さんが紹介なさって
いたのは、経済学者の柳川範之先生です。

柳川先生のお名前は私自身、色々な所で拝見しており、
ご活躍であることは存じ上げていました。が、為末さんの
文章によれば、柳川先生は高校へは行かず、大検で
進学し、その後経済学者になられたのだそうです。
知りませんでした。

為末さんは、柳川先生について次のように綴っています。

「穏やかな話し方の背景に、人はもっと多様な生き方を
することができるし、人生のどのタイミングからでも
どんな学び方でもできるんだ、という思いを感じる。」

為末さんによれば、柳川先生は「偏見なく人と接する人」
なのだそうです。

今の時代はややもすると、子育てであれ英語学習であれ
「正解」というものを追求しがちになります。
世の中にもそうした本がたくさん出回っていますよね。
そのような本に書かれていること「以外」は、
どうも間違っているように思えてしまう。

自分の子育てはペケではないか

自分の英語学習法は良くないのではないか。

そんな気持ちにさせられてしまいます。
さらにその思いが悪化すると、どんどん悪い方に
考えてしまうのですよね。

でも、紆余曲折を経ても人は自分さえしっかり持っていれば
かならず戻ることができるわけですし、
そもそもの正解は一つというわけでもありません。

だからこそ、柳川先生のように、人に対してはもちろん、
物事や価値観に対して「偏見なく」とらえることが
大事なのでは、と私はこの文章から考えさせられたのでした。

(日本経済新聞2020年8月14日金曜日朝刊)
コメント(0) 

買って良かったもの [日々の暮らし]

先日のブログで日傘を買ったことを書きました。

最近つくづく思うのは、「自分が好きなモノ」と
共にいる心地よさです。日傘のおかげで真夏の外出も
嫌どころかむしろ出かけたくなりました。
以前購入したリーディンググラス(という名の老眼鏡!)も
自分のお気に入りのカラーであるため、堂々と
かけたくなりましたね。

先日購入したのは、トラベルトレイ。
まっ平らな革の長方形の四隅にボタンが付いています。
パチパチとはめるとトレイ型になるのですね。
アクセサリーや時計など、ちょっとした小物を置くのに
便利なアイテムです。

実はこれを買おうと思ったのは、先日のビジネスホテル・
デイユースの際でした。

私は外ではアクセサリーを色々と付けるのが好きなのですが、
帰宅すると全部外してしまいます。時計もお気に入りのものを
30年近く愛用していますが、こちらは仕事中には外します。
特に授業時や放送通訳現場では腕時計を見ながら進めるため、
机に置いているのですね。

さて、件のホテル。

そこにはトレイがなく、時計やアクセを置く場所に
難儀してしまいました。仕方なく、持っていたコピー用紙(裏紙)を
折って即席トレイを作り、そこに入れた次第。

ちなみに作り方はコチラ:

https://conote.info/archives/2083

で、散逸しないトレイはできた事にはできました。
でも、せっかくお金を払ってデイユースを、しかも
シンプルでおしゃれなインテリアがある部屋を使っているにも
関わらず、コピー用紙の裏(ニュース記事の
プリントアウトゆえ、「トランプ大統領」
「コロナ」「選挙」「民主党」などなどの文言がちらほら見えます)では
何とも興ざめだったのですよね。

それでトラベルトレイを買ったのでした。

結果は「大正解」!!!トレイ内側は大好きな赤色で、
それだけでも元気が出ます。一方、裏はブラックで
シックな感じ。ボタンはシルバーで何ともおしゃれです。
ちょうど私のアクセサリー棚の端にも収まっています。

これなら旅行時にもボタンをはずして平らにすれば
かさばらずに持ち運べます。

眺めるたびに、毎日使うたびに、買って良かったなあと
嬉しくなります。日常生活の中で、こうして手に触れたり
目で見たりするものから幸せを得られることも
大事なことと思う次第です。
コメント(0) 

四字熟語 [英語]

通訳をしていて訳出に困ることの一例に「四字熟語」が
あります。「一期一会」「千客万来」「一進一退」など
日本語にはたくさん見られますよね。

私自身が意味を分かっていれば、落ち着いて訳出できます。
けれども、なんとなーく知っているというレベルの場合、
自信を持って英語にすることができません。

要は通訳という職業は、辞書的な変換だけではない、
ということになります。中身の部分を意味として知っているか、
知識として自分の中に蓄えているかが大きなカギを握ります。

そう言えば四字熟語以外で難儀したことばがあります。
今でも覚えているのが「55年体制」ということば。
とある議員さんに表敬訪問をした際に出てきたのですが、
当時の私は日本の政治に疎く、この表現が出てきたときに
一瞬詰まってしまいました。意味は「1955年に成立した
戦後日本の政党政治の構図」(コトバンクより)です。

何分、その時の私は知識不足でしたので、「1955年?
それとも55年間、何かが続いたということ?
それとも昭和55年?」と、頭の中は完全にハテナマーク状態でした。
そのころ私はイギリス人上司(日本政治史専攻)の部下でしたので、
上司が助け舟を出してくれたおかげで救われたのでした。

ところで今、四字熟語で思い出したのが「慇懃無礼」という表現。
辞書を引くと意外と面白い訳語が出てきます。たとえば
hypocritical courtesyやsuperficially polite but rude in intent
(Weblioより)などです。

hypocriteは「偽善者」のこと。in intentは「わざと」です。
hypocritical courtesyは「偽善的な礼儀」、
superficially polite but rude in intentは「表面的には礼儀正しいが、
意図的に無礼」ということになります。

日本語の「慇懃無礼」は四字熟語としてピッタリ収まって
いますが、英語にすると何となく説明調になりますよね。

ちなみに先日「一見、いい人」という文をアップした際、
いつもコメントを下さる読者さんが「心のソーシャルディスタンス」
という表現をお書き下さいました(いつもありがとうございます!)。
慇懃無礼な人に対しては、こちらがひるんでしまえば思う壺に
なってしまいますので、まさに「心のソーシャルディスタンス」が
必要だなあと、四字熟語を機に思い出したところです。
コメント(0) 

NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年8月25日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「米民主党 ハリス氏を副大統領候補に指名」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2008/25.html

どうぞよろしくお願いいたします。

コメント(0) 

「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第457回がアップされました。
タイトルは「母」、
書籍紹介は「余計なことはやめなさい!ガトーショコラだけで
年商3億円を実現するシェフのスゴイやり方」
(氏家健治著、集英社、2018年)を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/18893.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。

コメント(0) 

好きなモノと共に [日々の暮らし]

以前、断捨離に凝っていたころは、とにかくモノを
減らすことに躍起になっていました。

何しろ、「使わないもの」を持っていても
宝の持ち腐れになってしまいます。また、必要なものをすぐに
取り出せないというのは「探すための時間」を要することになります。
断捨離に励んでいた当時の私はとにかく仕事が忙しく、
モノを減らしてスッキリすることで探し物時間を減らし、
その分を勉強時間にあてていたのでした。

よって、あの時はあれで良かったと今でも感じています。

ただ、マイナス面を挙げるならば、「捨てなくても良かったかも」
というものもガンガン処分してしまいました。
もちろん、当時は「使わないもの」であったわけですし、
今、たとえそれを所持していたからとて、使うあては
ありません。それでも心情的に「手元から離してしまって
良かったのかしら・・・?」と思い返すことはあります。

とはいえ、済んでしまったことは済んだことナリ。
前を向くのが吉ということでしょう。

そのようなわけで、モノを増やすことにあれほど抵抗があった私なのですが、
最近はそのルールがゆるーくなっています。要は、自分なりの
「モノとの距離感・付き合い方」が確立されたということだと思うのですね。

たとえばこの夏。

あえて購入したのが「レース柄のマスク」と「日傘」でした。
これは尊敬する先輩方が持っておられたのを拝見したのが
きっかけとなりました。オシャレで素敵な方々が通訳現場には
たくさんいらっしゃり、私にとっては憧れなのですね。

買い求めたレースのマスクはデザインが本当に美しく、
つけるだけで気持ちも前向きになれます。

一方の日傘は折り畳みではなく、いわゆる普通の日傘です。
これまで私はモノを増やしたくなかったため、晴雨兼用の折り畳み傘で
一年中過ごしていました。でも、「日傘」に特化した日傘を
使い始めたところ、改めてその良さに気づけたのです。

購入したのは長傘タイプ。これならすぐに開くことができますし、
しっかりとした作りです。しかも持ち手がU字型になっていますので
鞄や手にひっかけやすい構造です。何しろ正統派「日傘」ですので、
今まで使っていた折り畳みの晴雨兼用タイプとは涼しさが
異なります。

こうして自分が「スキ」と思えるものを使うようになったおかげで、
日々が楽しくなってきました。こうしたささやかな幸せが
実は毎日の生活には大事なのだろうなあと思っています。
コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。