今日のロイヤル例文 [英語]
今日も不定詞の続きです。こうして日々、例文を読んでいると
自分の知らなかった英語の用法を改めて知ることになり、
とても新鮮に感じています。
*p424
He must be crazy to go out in this stormy weather.
(こんな嵐の中を出かけるなんて、彼はどうかしているにちがいない)
How kind you are to come all the way to see me!
(わざわざ会いに来てくださるなんて何とご親切なんでしょう)
→相当の悪天候の中、男性の方は彼女に会いに出かけ、
それに感激した彼女のセリフ・・・という感じ?2文続けて出ていました。
不定詞の副詞用法での説明項目で。
*p424
To think that I was a billionaire!
(この私がかつては億万長者だったとは)
→バフェット氏の投資会社が5.3兆円の赤字を出し、
航空株をすべて売却したとのニュースを読んだばかり。
*p437
I would hate you to get into the papers.
(君のことが新聞に出てほしくない)
→一体どのような会話でこのセリフが出てくるのか、つい深読み。
***
明日も不定詞です。
自分の知らなかった英語の用法を改めて知ることになり、
とても新鮮に感じています。
*p424
He must be crazy to go out in this stormy weather.
(こんな嵐の中を出かけるなんて、彼はどうかしているにちがいない)
How kind you are to come all the way to see me!
(わざわざ会いに来てくださるなんて何とご親切なんでしょう)
→相当の悪天候の中、男性の方は彼女に会いに出かけ、
それに感激した彼女のセリフ・・・という感じ?2文続けて出ていました。
不定詞の副詞用法での説明項目で。
*p424
To think that I was a billionaire!
(この私がかつては億万長者だったとは)
→バフェット氏の投資会社が5.3兆円の赤字を出し、
航空株をすべて売却したとのニュースを読んだばかり。
*p437
I would hate you to get into the papers.
(君のことが新聞に出てほしくない)
→一体どのような会話でこのセリフが出てくるのか、つい深読み。
***
明日も不定詞です。
2020-05-07 04:47
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「人生は短いんだ」 [日々の暮らし]
日経新聞の中でいつも注目しているのが、最終ページにある
「私の履歴書」です。著名人が自らの半生を振り返り、1か月間にわたり
綴っていくというもの。今月は女優の岸恵子さんです。
岸恵子さんは横浜生まれ。私も幼少期に横浜で過ごしました。
私が子どもの頃のこと。車で神奈川県立平沼高校の前を通りがかった際、
両親が「そう言えばこの高校を出たのが岸恵子さんだったのよね」
「才色兼備の女優さんだよね」と話していたのを覚えています。
「私の履歴書」を読んだところ、岸さんは戦後間もない1948年4月に
入学していました。当時は県立横浜第一女子高でした。
岸さんは、得意科目と不得意科目の差が激しかったのだそうです。
学級委員をしていたものの、不得意の数学試験では答案の半分を
白紙で出してしまったのだとか。それを見た担任の先生が
岸さんを自宅に呼び出してお説教をしたとあります。
今の時代、先生が自宅に教え子を呼ぶということは
考えられないのですが、当時はそのような時代だったのですよね。
日曜日に先生宅へ出向いた岸さんは、そこで20分ほど
ひたすらお説教を聞かされたそうです。先生のお母様がお茶を
出してくださっても手が出なかったのだと。
けれども、帰り際、先生はこう声をかけたそうです。
「根性を通せ。君には多くの才能がある。好きなことをやれ。
人生は短いんだ。苦手なものはやらなくていい」
岸さんはこの言葉を心にとめて社会人になりました。そしてお礼を
伝えたいと思った時、恩師は亡き人となっていたのだそうです。
「人生は短いんだ」ということば。私も最近強く意識するように
なりました。コロナ禍ゆえに余計そうなのかもしれません。
短い人生を人としてどう精一杯生きるか。
その正解というのは一人一人が持ち合わせるものであり、
他人が判断することではないと私は思います。
だからこそ、自分の気持ちを大事にしていきたいと私は考えています。
(「私の履歴書」『⑥数学の先生、説教と笑顔』岸恵子
日本経済新聞2020年5月6日)
「私の履歴書」です。著名人が自らの半生を振り返り、1か月間にわたり
綴っていくというもの。今月は女優の岸恵子さんです。
岸恵子さんは横浜生まれ。私も幼少期に横浜で過ごしました。
私が子どもの頃のこと。車で神奈川県立平沼高校の前を通りがかった際、
両親が「そう言えばこの高校を出たのが岸恵子さんだったのよね」
「才色兼備の女優さんだよね」と話していたのを覚えています。
「私の履歴書」を読んだところ、岸さんは戦後間もない1948年4月に
入学していました。当時は県立横浜第一女子高でした。
岸さんは、得意科目と不得意科目の差が激しかったのだそうです。
学級委員をしていたものの、不得意の数学試験では答案の半分を
白紙で出してしまったのだとか。それを見た担任の先生が
岸さんを自宅に呼び出してお説教をしたとあります。
今の時代、先生が自宅に教え子を呼ぶということは
考えられないのですが、当時はそのような時代だったのですよね。
日曜日に先生宅へ出向いた岸さんは、そこで20分ほど
ひたすらお説教を聞かされたそうです。先生のお母様がお茶を
出してくださっても手が出なかったのだと。
けれども、帰り際、先生はこう声をかけたそうです。
「根性を通せ。君には多くの才能がある。好きなことをやれ。
人生は短いんだ。苦手なものはやらなくていい」
岸さんはこの言葉を心にとめて社会人になりました。そしてお礼を
伝えたいと思った時、恩師は亡き人となっていたのだそうです。
「人生は短いんだ」ということば。私も最近強く意識するように
なりました。コロナ禍ゆえに余計そうなのかもしれません。
短い人生を人としてどう精一杯生きるか。
その正解というのは一人一人が持ち合わせるものであり、
他人が判断することではないと私は思います。
だからこそ、自分の気持ちを大事にしていきたいと私は考えています。
(「私の履歴書」『⑥数学の先生、説教と笑顔』岸恵子
日本経済新聞2020年5月6日)
2020-05-07 00:00
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