「人生は短いんだ」 [日々の暮らし]
日経新聞の中でいつも注目しているのが、最終ページにある
「私の履歴書」です。著名人が自らの半生を振り返り、1か月間にわたり
綴っていくというもの。今月は女優の岸恵子さんです。
岸恵子さんは横浜生まれ。私も幼少期に横浜で過ごしました。
私が子どもの頃のこと。車で神奈川県立平沼高校の前を通りがかった際、
両親が「そう言えばこの高校を出たのが岸恵子さんだったのよね」
「才色兼備の女優さんだよね」と話していたのを覚えています。
「私の履歴書」を読んだところ、岸さんは戦後間もない1948年4月に
入学していました。当時は県立横浜第一女子高でした。
岸さんは、得意科目と不得意科目の差が激しかったのだそうです。
学級委員をしていたものの、不得意の数学試験では答案の半分を
白紙で出してしまったのだとか。それを見た担任の先生が
岸さんを自宅に呼び出してお説教をしたとあります。
今の時代、先生が自宅に教え子を呼ぶということは
考えられないのですが、当時はそのような時代だったのですよね。
日曜日に先生宅へ出向いた岸さんは、そこで20分ほど
ひたすらお説教を聞かされたそうです。先生のお母様がお茶を
出してくださっても手が出なかったのだと。
けれども、帰り際、先生はこう声をかけたそうです。
「根性を通せ。君には多くの才能がある。好きなことをやれ。
人生は短いんだ。苦手なものはやらなくていい」
岸さんはこの言葉を心にとめて社会人になりました。そしてお礼を
伝えたいと思った時、恩師は亡き人となっていたのだそうです。
「人生は短いんだ」ということば。私も最近強く意識するように
なりました。コロナ禍ゆえに余計そうなのかもしれません。
短い人生を人としてどう精一杯生きるか。
その正解というのは一人一人が持ち合わせるものであり、
他人が判断することではないと私は思います。
だからこそ、自分の気持ちを大事にしていきたいと私は考えています。
(「私の履歴書」『⑥数学の先生、説教と笑顔』岸恵子
日本経済新聞2020年5月6日)
「私の履歴書」です。著名人が自らの半生を振り返り、1か月間にわたり
綴っていくというもの。今月は女優の岸恵子さんです。
岸恵子さんは横浜生まれ。私も幼少期に横浜で過ごしました。
私が子どもの頃のこと。車で神奈川県立平沼高校の前を通りがかった際、
両親が「そう言えばこの高校を出たのが岸恵子さんだったのよね」
「才色兼備の女優さんだよね」と話していたのを覚えています。
「私の履歴書」を読んだところ、岸さんは戦後間もない1948年4月に
入学していました。当時は県立横浜第一女子高でした。
岸さんは、得意科目と不得意科目の差が激しかったのだそうです。
学級委員をしていたものの、不得意の数学試験では答案の半分を
白紙で出してしまったのだとか。それを見た担任の先生が
岸さんを自宅に呼び出してお説教をしたとあります。
今の時代、先生が自宅に教え子を呼ぶということは
考えられないのですが、当時はそのような時代だったのですよね。
日曜日に先生宅へ出向いた岸さんは、そこで20分ほど
ひたすらお説教を聞かされたそうです。先生のお母様がお茶を
出してくださっても手が出なかったのだと。
けれども、帰り際、先生はこう声をかけたそうです。
「根性を通せ。君には多くの才能がある。好きなことをやれ。
人生は短いんだ。苦手なものはやらなくていい」
岸さんはこの言葉を心にとめて社会人になりました。そしてお礼を
伝えたいと思った時、恩師は亡き人となっていたのだそうです。
「人生は短いんだ」ということば。私も最近強く意識するように
なりました。コロナ禍ゆえに余計そうなのかもしれません。
短い人生を人としてどう精一杯生きるか。
その正解というのは一人一人が持ち合わせるものであり、
他人が判断することではないと私は思います。
だからこそ、自分の気持ちを大事にしていきたいと私は考えています。
(「私の履歴書」『⑥数学の先生、説教と笑顔』岸恵子
日本経済新聞2020年5月6日)
2020-05-07 00:00
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