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こじつけ?偶然? [日々の暮らし]

日常生活の中で色々な「偶然」に遭遇することが
私はよくあるようです。単に私が感激屋で、
「わあ、すごい偶然!嬉しい!!」と思うタイプ
というだけの話なのかもしれませんが。

でもそのような偶然に喜びを覚えることは事実ですので、
最近は「偶然」と思ったことをノートに記録するように
しています。たとえばこんな感じです:

「出先で知り合いにばったり出会った」

「考えていた曲が、偶然にもラジオから流れてきた」

「セミナーで隣に座った方が、私の大学時代の先輩と
同じ職場だった」

「ふと時計(または車の走行メーター)を見たら数字がぞろ目だった」

たまたま、なのかもしれませんが、私にとっては
何となくそれだけで心が躍るのですね。

ちなみに昨日の「偶然」はコチラ:

「仕事の合間にスタバへ行ったところ、食べたいと思っていた
抹茶のスコーン(新作)があった」

「帰路、靴のかかとを直したいなと思っていたら、
目の前に修理屋さんがあった」

「たまたま駅構内で期間限定のアクセサリーショップを発見。
覗いてみたら、欲しかったデザインのリングがあった。」

「しかも店員さんから渡されたショップカードに書かれていた
インスタ・アカウント名が、私の誕生日と同じ数字になっていた」

ということがあったのですね。

・・・あ、でもやっぱりこれって、読む人が読んだら
完全に「こじつけ」なのかも。

でも本人が嬉しく思っているので、良しとしましょう!
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外からではわからない [日々の暮らし]

毎朝1時間ほどウォーキングをするのが、コロナになってからの
日課になっています。ただし私の場合、あえてゆるーい
ルールにしています。かつての自分は「一度決めたら
何が何でも成し遂げる」というタイプでした。それで
泥沼化したのが(?)朝のジョギング。雨の日も
走ってしまい、関節痛になってしまったのです。今から数年前の事です。
健康のためだか不健康のためだか、これではわからなくなりますよね。
以来、無理は禁物と自分に言い聞かせています。

毎朝のお散歩の際、出発時に持参するのはメモ用紙とペン、
そしてスマートフォンです。
思いついたことをパッとメモするには、私の場合、
やはり手書きが一番早いと感じます。
スマホは街中の景色や季節のお花などを撮影する際に重宝します。

歩いていると本当に色々な景色に巡り合うことができます。

たとえば我が家の近くにあるテレビ塔。
かつては風景の一部と化していたのですが、
晴れている日によーく見てみると、塔を支えているワイヤー上に
結び目(?)のようなものが見えました。その日は塔の向こうに
青空が広がっており、その結び目がまるで点つなぎ遊びのように
見えたのですね。子ども時代に点つなぎに夢中になって
いたことを思い出しました。

一方、季節の植物にも癒されています。

つい先日まではバラ、その後はアジサイが満開。
最近は家庭菜園のミニトマトやきゅうりなども目立ちます。
ユリやひまわり、朝顔なども見受けられますし、
実がなりはじめた柿の木やブドウなども楽しめます。
かつてイギリスに暮らしていたころ、田舎道を
ドライブした際によく見かけたラズベリーや
ブラックベリーを育てているお宅もありました。

家の形や大きさも見ていて楽しめるポイントです。
地主さんと思しき大きな和風家屋の家。
3階建てのおしゃれな洋風の家(最近は「洋館」とあまり
言わないような感じもしていますが)。
ペントハウス付きのマンションや、学生さんが住むと
思しきアパートなどなど、見ていて飽きません。
かつて工場だった場所には大型のマンションもあります。

こうした建物を見ていて思うのは、そこに暮らす人たちが
どのような方々で、どんな生活を営んでいるのだろう、
ということです。幼いお子さんたちがいる家もあれば、
子どもたちが巣立ってご高齢の夫婦、というお宅もあるでしょう。
あるいは単身で暮らしている方もいるかもしれません。

大きなお屋敷を見ると、つい私など、「スペースに
余裕のある家の中で、家族が幸せに暮らしておられるのだろうなあ」
と想像してしまいます。もちろんそれがベストなことでしょう。

でも、人を外見だけで判断することができないのと同様、
家というのも外からだけではわからないことの方が
多いのかもしれません。病気の家族がいたり、様々な問題に
直面していたり、という具合です。

だからこそ余計、その家に暮らす人に幸あれと思ってしまうのですね。
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力の入れ方 [日々の暮らし]

今学期の大学および通訳学校の授業はいずれも
ZOOMによる遠隔授業となりました。私が学生の頃は、
このようなソフトウエアはおろか、インターネットも
無い時代です。本当に技術の進歩というのはめざましいですよね。

ZOOMのおかげで自粛期間中でも距離や場所を問わず、
学びは続けることができています。教育機関だけでなく、
予備校や塾などに至るまで、「学びを止(と)めないこと」は
教育を施す立場として、大いに大事な課題となったことでしょう。

このように恩恵が非常に多いリモート講義ではあるのですが、
私の場合、画面を見続けているためか、今まで以上に
首や肩の凝りに見舞われています。

考えてみれば、もともと通訳業というのは、
非常に緊張感を伴う仕事です。ゆえに私など、
常に体に力が入り、こわばっているのですね。たとえば、

*放送通訳であれば画面を凝視。通常の会議通訳で
あれば前方のスライドや話し手さんを見続ける
→目に必要以上の力が入ってしまう

*講師業も通訳業もお客様から「見られる仕事」である
→常に口角を上げて笑みを絶やさないようにしたいという
思いから、頬や口角に力が入ってしまう

*原稿を書いたりメモを取ったりする際、
集中力MAXで取り組んでいる
→キーボードを打つ指やペンを握る手に緊張感あり

*常に慌ただしいスケジュールで日々を回しているため、
私の場合、歩くのが早い
→背筋を伸ばして早足で歩くので、体中に力が入っている

*持ち歩く荷物が重い
→肩や手に力が入ってしまう

ざっとこのような具合でしょうか。

でも、本来であればここまで力を入れる必要はないのですよね。
先日、雨の中、傘をさしていた際、異常なまでの力で
傘の柄を握りしめていることに気づき、我ながら
おかしくなってしまいました。

「もっと力抜いていいよ」

と最近の私は自分に言い聞かせるようにしています。
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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年7月28日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「米でマスク義務化をめぐり攻防」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2007/28.html

どうぞよろしくお願いいたします。
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「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第453回がアップされました。
タイトルは「計画を立てるということ」、
書籍紹介は「還暦からの底力」
(出口治明著、講談社現代新書、2020年)
を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/18593.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。

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鬼の霍乱? [日々の暮らし]

いやはや、久しぶりの体調不良となりました!
寝ればすぐに元通りになりますので、どうかご心配なく。

ちなみにコロナ前までの私はというと、週に数回、ジムへ通い、
筋トレと燃焼系レッスンにせっせと出ていました。
まだ移動もOKの時期でしたので、仕事場へも出かけ、
大学に出講するということが数年間ずっと続いていたわけです。

ところが緊急事態宣言が出され、ジムは休館。
レッスンもできなくなり、それではと動画サイトで
自宅ジムを始めたものの、やがてそれも飽きてしまう始末・・・。
それでもかろうじて朝のお散歩は続けていましたので、
それで良しとしていました。

7月に入りジムは制限付きで再度オープン。
ただ、レッスンはマスク着用、長さもかつてのような
60分などではなくなり、いずれも30分です。
体がここ数か月でなまっていたこともあり、これはこれで
丁度良い長さではあるのですが。

一方、当初はまったくわけがわからず内心焦っていた
ZOOM授業も、それでも何とか基本操作はできるように
なり、とりあえず学期の終わりも見えてきました。
けれども、画面に向かって100分X4コマ、これに
隔週の通訳スクールのレッスンが加わるため、
眼精疲労や首・肩・背中の疲労が半端なくなりました。

そして数日前。

起床時の喉の痛みがひどく、市販薬をのみました。
夜間にタイマーでエアコンを付けていたからかなとも
思ったのですが、結局痛みは引かず。そこで病院へ
出かけたのでした。

幸いお薬を数種類出していただき事なきを得たのですが、
私のような仕事の場合、極端なまでに無理をして話し続けると、
ポリープになってしまう、とお医者様に言われて内心焦りました。

それだけは何としても避けなければ!
何しろ声は商売道具ですので。

というわけで、薬を飲み、マッサージにも出かけて
筋肉の凝りをほぐしてもらいました。

ちなみに、こういう体調の日には難しいことを
考えたり、懸案事項の解決法を考えようとするのは逆効果ですよね。
ロクでもない発想になりますので・・・。

まずは、早寝してとにかく疲労回復につとめる。
それが最善策なのでしょうね。
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自分らしく [日々の暮らし]

自分自身を振り返ってみると、子どもの頃というのは
ずいぶんと周囲、とりわけ大人の顔色をうかがうタイプ
だったと思います。特に物心ついてからは、必ずしも
家庭内の空気が良かったわけではないため、
よけい「嫌われたくない、叱られたくない」という
思いが強かったのでしょうね。今、思い起こせば
こと家庭内に関しては私に非があったわけではなく、
単に親サイドの問題ではあったのですが。

とは言え、子どもというのは周囲の雰囲気を敏感に
察するのだと思います。よって、とにかく「ちゃんとして
いなければ」という感覚が私の場合、どんどん醸成されて
そのまま成長してしまったのかもしれません。

幸い私の場合は、大人になってから良き本や良き人々との
出会いがあり、特に大学以降に読んだ本にたくさん
救われてきました。と同時に仕事を通じて出会った方々にも
多くのインスピレーションや勇気を与えられてきたと感じています。

さて、今や世の中のデジタル化が進み、何でも瞬時に調べられ、
欲しいものはあっという間に手に入る時代となりました。
私もその恩恵を受けている一人です。

けれども、人にとって必要なものというのは、
次の3つではないかと最近の私は思うのです。それは、

自分が自分らしく生きることであり、

自分らしく生きていることを身近な人が認めてくれることであり、

そうした者同士が支え合って生きていくこと。

特にコロナになってから、私はこの思いを強く抱いています。

先日読んだ出口治明氏の本には、自分らしく生きることに
ついて、こう書かれていました:

「何よりも自分が見ているのだから、人に評価されたい気持ち
などは捨てて、自分がいいと思ったことに
全力で取り組めばいい」(p67)

かつての私は仕事でも人間関係でも「他者がどう思っているか」を
とても気にしてしまい、息苦しく思うことがありました。
でも、人生というのはSNSの友達人数でもなければ、
評価の数でもないのですよね。

極端な話、自分らしく生きていることを認めてくれる人が
たったひとりでもいれば、人は幸せに生きられると
最近の私は感じています。

(「還暦からの底力」出口治明著、講談社現代新書、2020年)
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有料会員 [日々の暮らし]

今から20年前にBBCで働いていたころは、まだインターネットの
コンテンツもさほど充実していませんでした。それでも
技術の進歩は本当にめざましいものがあり、帰国するころには
日本の最新ニュースをネットで見られるようになったのですね。

当時私は日経新聞の衛星版(紙媒体)を購読していたのですが、
現地で印刷されているため、かなりの月間購読料でした。
それでも切り抜いてスクラップできることが
私にとっては勉強につながるため、必要経費として
割り切ってとっていたのです。

当時のニュースサイトはいずれも無料で記事を配信していました。
そのこと自体も驚きでしたね。「どこで採算をとって
いるのかしら、大丈夫かしら?」と思ったものです。

ところが、確かNew York Timesが先駆けだったと
思うのですが、ネットのニュースに課金をするように
なりました。そこから少しずつ、有料会員という制度が
増えていったように思います。

動画サイトも当初は様々なビデオが無料で視聴できました。
しかし、そのうちに視聴者自体が増えたことから
そこを広告のプラットフォームにするという発想が生まれ、
今では無料版でYou Tubeを見ていると実にたくさんの
広告が出てきます。

かつて私は「無料だし、まあ、仕方ないかな」と思いつつ
視聴をしていました。そもそも自分でCDを買ったり借りたり
して手間をかけて音楽やビデオを味わってきたのです。
目の前のPCで視聴できるのですから、贅沢を言っては
いけないなと思っていたのですね。

けれども、大好きなクラシックやアーティストの動画を
観るたびに、途中で、しかも良いところでCMが流れてしまう。

これが次第に支障に感じられるようになったのです。

そこで先日、思い切って有料会員になりました。

いやはや、快適であることに驚きです。
なぜもっと早くにそうしなかったのかと悔やまれるほど。

考えてみれば、日々の生活に必要なのは潤いであり、
自分の好きなことを味わうことなのですよね。
そのためにも、自分にとって支障に思えることを
取り除けるのであれば、そうしないのはもったいないと
思いました。

というわけで、月会費はかかりますが、その価値は
はかり知れません。今や大いに堪能しています。
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効率の見直し [日々の暮らし]

子どもたちが小さいころは仕事と家のことで手いっぱい。
とにかく効率をめざして時間を捻出することが
最優先でした。

けれども、そうした時期というのは一生続くわけではないのですよね。
子どもたちが大きくなるにつれて楽になる部分も出てきました
(もちろん、それと同時に別の難しさも出てくるのが
子育てではあるのですが)。

私の場合、掃除のしやすさ、家の中でのモノの見つけやすさ、
簡単に調理しやすいことなど、時短につながることが
ずっとトップ・プライオリティでした。よって、確かに
時間は生み出せたのですが、どこかキツキツの日々でも
あったのですよね。

一方、実家にたまに帰ると、母が庭の寄せ植えを
変えていたり、リフォームをしていたり、新しい洋服や
化粧品などを楽しんだりする様子がうかがえました。
そうした雰囲気を帰省ごとに触れるにつれて、
生活における「うるおい」というのは大事なのだろうなと
感じるようになったのです。

「限られた空間だから、モノは増やさない」

「お気に入りのモノを厳選して、あとは処分する」

という、これまでの自分の生き方もそれはそれで好きです。
でも、少しここでスローダウンするのも良いのだろうなと思い
始めたのですね。

たとえば、

「まだ使える家電ではあるけれど、保証期間も
過ぎていることだし、新しいタイプに変えてみようかな」

「確かに赤いトップスはあるにはあるけれど、
このデザインも素敵だから、買ってみようかな」

という具合に、変化やバリエーションがあっても良いのでは
と思うようになったのです。

私の周りを見渡してみると、そのような感じで
生活をエンジョイしている方々がいます。
そうした素敵な人たちから、うるおいを感じながら
生きることを、遅まきながら(?)学んでいるところです。

作家の門井慶喜氏は次のように述べています:

「床の間でもニッチでもよいですが、モノを飾れる場所を
つくることをお勧めします。といっても他人に見せるための
空間ではなく、自己満足のための場所です。
飾るモノは雑貨でも、絵葉書でも、美しい装丁の本でもいい。
気分に合わせて飾るモノを替え、眺めていると、
自分のことがよりいっそう好きになれるでしょう。」

最近私は家の中に切り花を飾るようにしています。
花に癒され、そうした花をテーブルに置ける余裕を
抱けるようになった自分が好きになったような気がしています。

(「作家・門井慶喜氏インタビュー」
日本経済新聞2020年7月22日水曜日別刷り)
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「すぐ使える英語表現」更新のお知らせ [掲載]

第228回は beat the drums(派手に売り込む)というフレーズです。

https://www.hicareer.jp/inter/housou/18599.html

どうぞよろしくお願いいたします。

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