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ことばが生み出す笑い [日々の暮らし]

ことばを生業としているからか、「言葉」が生み出す
様々なことを楽しく感じています。
英単語の語源、漢字の成り立ちしかりです。
「どうしてこういう語が生まれたのかしら?」と
考えるだけでワクワクします。

特に楽しんでしまうのが「聞き間違い」と
「読み間違い」です。特に意識が全く異なる場所にあるさなかに
何かを読んだり聞いたりした際、ついトンチンカンな
解釈をしてしまうのですよね。

たとえば、先日のこと。外食をして帰宅した息子と
以下のようなやりとりがありました。

私「今日はどこで食べてきたの?」

息子「イザカヤ」

私「ええ!?居酒屋?だってまだ未成年でしょ?良いの?入っても?」

息子「違うよ、日高屋でラーメン食べてきた。」

・・・という具合。母音の部分は全く同じ単語ですよね。

一方、スーパーマーケットの店内で見かけたのが、

「うざい」

という3文字。「ウザイって最近の若者言葉でしょ?
一体なぜ?」と思って、よーく見たら、

「おそうざい」

と書かれていました。「おそ」が隠れて見えなかったのですね。

こうしたこともすべて「笑い」にしてしまえば、
日々も楽しくなります。何となーくコロナで先行き不透明な分、
ちょっとした言葉遊びで一日一回は笑いたいと思います。

以前読んだ何かの記事で、「明るくてよく笑う人のそばにいるだけで、
幸せな気持ちになれる」とありました。アサヒビール会長の
樋口廣太郎氏も「大きく声を出していつも元気にニコニコしていれば、
大抵のことはうまくいく」と述べておられます。今学期、大学や
通訳学校の授業はすべてオンラインになったのですが、
受講生のみなさんが画面の向こうでニコニコしたり、
マイクはオフになっているものの、声を出して笑っている様子が
伺えたりすると、私自身、本当にうれしくなります。
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トルストイ、そして亀山郁夫先生の文章 [日々の暮らし]

昨日のブログでトルストイのことを書きました。

数日前の日経新聞・書評欄にロシア文学者の亀山郁夫先生が
トルストイを取り上げておられました。

私は亀山先生が東京外語大で教鞭をとっておられるころから
文章を拝読しています。温かみのある文で、哲学的で、
読むたびに人生とは何かを考えさせられてきています。
先生は外語大を退官以後、名古屋外国語大学の学長を務めて
おられます。数年前に同大学で行われた通訳コンテストに
学生を引率したことが私はあります。そのとき、開会式で
亀山先生がご挨拶されたのを拝見し、大いに感激したことを覚えています。

日経の書評欄に出ていたのは、トルストイの民話
「人はなんで生きるか」(中村白葉訳、岩波文庫)です。
主人公の若者について、亀山先生ならではの分析がありました。
若者がその人生において得た「答え」について、
先生はこのように綴っておられます。

「では、若者が得た『三つの答え』とは何だったか。

一、人の心の中には何があるのか。答えは、愛。

二、人が与えられていないものとは何か。答えは、知識。

三、人は何によって生きるのか。答えは、愛。」

私はこの文章を読み、大いに考えさせられました。
コロナの状態がずっと続く中、自分の生き方を
ちょうど考えていたからです。

特に二番目の「知識」の部分。

これを私は「知識」というよりも「知恵」と置き換えて
考えています。

と言いますのも、今の時代、誰もがたくさんの情報を
持ってはいます。けれども、そうした大量の知識を
うまく使いこなせず、むしろ情報に振り回されて惑わされて
心を痛めて疲労困憊しているという印象を抱いているからです。

むしろ肝心なのは、知識ではなく、限られた情報であっても
そこから生きる知恵を得て、前に進むことだと思うのですね。

亀山先生は、次のようにも述べています。

「思うに、現代の科学は、ひたすら人間の延命に取り組み、
この物語でいう『知識』の解明に邁進してきた。
ところが、そんな挑戦を嘲笑うかのように、21世紀の『神』は、
日々人類を弄び、中世さながら『死の舞踏』を現出させている。」

まさに今のコロナを指しておられます。

「たとえ信仰を持たぬ身でも、『慈しみ深く』だけは、
明日からでも実践できそうな気がする。」

先生はこのように締めくくっておられます。
私自身、身近な人たちへの「慈しみ」を大事にせねばと
改めて思ったのでした。

(『19世紀ロシアの文豪の民話 科学万能の現代 
驕りに警鐘』亀山郁夫、「半歩遅れの読書術」
日本経済新聞2020年7月18日土曜日朝刊)
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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年7月22日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「"ブルックスブラザーズ"が経営破綻」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2007/22.html

どうぞよろしくお願いいたします。

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夏休み課題図書 [日々の暮らし]

実家に暮らしていたころ、我が家には「日本文学全集」と
「世界文学全集」がありました。父が若かりし頃、
せっせと買い集めていたものです。どうやらその時代には
全集を揃えるというのが一種のブームだったようで、
我が家の書棚には他にも「世界の歴史」と「日本の歴史」が
ありました。もっとも、この2シリーズは途中までしか
揃っていませんでしたので、もしかしたら父が買うことに
挫折したのかも・・・!

ところで高校の国語の授業で私が楽しみにしていたことがあります。
それは資料の「国語便覧」を眺めることでした。ちなみに高校時代の私は、
現代文の成績がまったく良くなく、評論文の解釈など
まるでダメでした。よって、授業も今一つついて行けなかった
のですね。先生が板書をなさっている間、
ボーっと便覧のページをめくるのが私の定番になっていました。

便覧には古典から現代作家にいたるまで、様々な
文学作品が紹介されています。そうしたページを
パラパラとめくっていて思ったこと。それは、

「きちんと本に向き合わなければ、私は一生、
こうした名作を読むことなく、あの世に行ってしまうのだろうなあ」

ということでした。

そこで高校1年の夏休み。自宅にある文学全集を
片っ端から読もうという計画を立てたのでした。
真夏の暑い中、せっせと読んだことを覚えています。
確か小林秀雄の「モオツアルト・無常という事」には
両親に断りもせず、書き込みまでしましたね
(多分まだ実家のどこかに残っているはずです)。

一方、海外文学全集の方はと言うと、結局高校時代は
手付かずのままとなりました。そこで数年前に
「せめてロシア文学の古典ぐらいは読まねば」
という思いにかられて岩波文庫を買い求めました。

が、こちらはあっさり挫折!今となっては何の本を
入手したのかすら覚えていません。確か
数巻からなる本でしたので、「戦争と平和」か
「アンナ・カレーニナ」か「カラマーゾフの兄弟」などで
あったと思います。

今でこそ私は学生たちに、「絵本でもダイジェスト版でも良いから、
とにかく古典のあらすじだけはおさえましょうね」と
伝えていますが、当の本人が未着手です、ハイ。

というわけで、せめてこの夏は何かしらの文学作品を
読みたいなあと思っているところです。

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「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第452回がアップされました。
タイトルは「香り」、
書籍紹介は「ビジュアル パンデミック・マップ」
(サンドラ・ヘンペル著、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年)
を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/18445.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。

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締め切り [仕事]

20代に出会った本に私の人生は随分支えられてきたと
思っています。とりわけ衝撃を受けたのが乳がんで40代にして
亡くなられたジャーナリスト・千葉敦子さんの本でした。

千葉さんは1970年・80年代にあえて病にかかっている中、
拠点をニューヨークに移されました。そして母語ではない
英語で日本のことを記事にして生活しておられたのです。
非常にエネルギッシュで、「今、この瞬間」を大切に
生きておられました。

特に千葉さんが重視していたのが「時間」への意識でした。
自分の余命を意識していたこともあるのでしょう。
人生には限りがあるからこそ、シビアに
とらえておられたのだと思います。

日々の生活もできるだけ効率を考え、
仕事においても当時、まだ出始めたばかりのワープロを
わざわざ知人経由で入手し、使い方を徹底的にマスターされました。
手書きの原稿からワープロ原稿へと切り替えた記者は
おそらく千葉さんが初期の頃ではないでしょうか。

そうした時間への意識を私は千葉さんの本から大いに
影響を受けたのでした。また、秒単位で通訳をしていることもあり、
時間への意識はかなりある方なのかもしれません。

特に自分がフリーランスになってから心がけているのは、

「締め切りを必ず守ること」

この1点です。

私の場合、通訳以外に執筆のご依頼を頂くことが
あるのですが、先方の締め切り(納品日)だけは
必ず守るようにしています。できれば前日や当日ではなく、
1週間ぐらい前に提出できればベストというのが私自身の
考えです。

ただ、この習慣が身につくには、やはり意識改革が必要でした。
と言いますのも、振り返ってみれば私自身、小学校の夏休みの
宿題をギリギリ8月の終わりまで手を付けずということが
あったのですね。

でも仕事でそれをやってしまえば信用に関わります。
特にフリーの場合、信頼を構築するまでには非常に
年月がかかります。けれどもたった一度のことで、
あっという間に信頼を失い、二度と仕事が来なくなるという
恐れもあるわけです。

よって、原稿執筆の場合は、

「完ぺきな内容の原稿を提出したいから、ギリギリまで
執筆しないでおく」

というのは、正しくないと私は思うのですね。

7割ほどの完成率でも良いから、とにかく早めに納品する。
そしてどうしても後になって自分が訂正したくなったら、
修正のお願いをすれば良いのです。もし1週間前に
提出してあれば、そうした軌道修正もできます。

一番やってはいけないのは、締め切りを破ること。
これは先方だけでなく、その先におられる多くの方々への
迷惑となってしまいます。

幸い私は子どもの頃から母に「手紙が来たらとにかく早く
返事を書きなさい」と口を酸っぱくして言われて育ちました。
そうしたこともあり、原稿依頼に関しては、できれば
お願いされてすぐにでも提出したい派です。

社会人として締め切りは必ず守る。

千葉敦子さんの本に若いころ出会えて幸せに思っています。
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仕事の受け方 [仕事]

フリーで仕事をしている際、どのような基準で仕事をお受けするかは
悩むところです。フリーランスである以上、生活して
行かなければいけませんので、基本的に「頂く仕事は
全てありがたくお引き受けする」というのが
ベストだと私は思っています。

ただし、例外もあります。

*どう考えてもその仕事のレベルが今の自分の実力と
合わないとき

*他に優先すべき仕事がある中、レベルの合わない仕事
(難しすぎるのはもちろん、容易すぎて
気乗りしないレベルも含む)を依頼されたとき

こうしたケースの場合、勇気を持ってお断りする
という選択肢もありだと私は思うのです。

なぜなら、自分のレベルに合わない仕事をお受けして、
しかも当日までに自分がそのレベルにまで自らの力を
引き上げるのが難しければ、依頼された方に
多大な迷惑をかけてしまいます。

一方、超多忙の中、単に「嫌われたくない」という
理由「だけ」で仕事を引き受けた場合、すでに
頂いている仕事に対しても、そして新たにお受けした業務に対しても
集中することが難しくなり、どちらも準備がおざなりになります。
そうなれば、すべての人に迷惑がかかってしまうでしょう。

「いったんお引き受けしたら、誠心誠意、
その仕事の為に準備をする」

「どこに今、自分は責任を果たすべきかをよく考えて、
ときには勇気を持ってお断りせざるを得ないことも考える」

こうしたことがフリーで仕事をする上では大事になると思います。
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取り組み方 [日々の暮らし]

以前読んだどなたかの本で興味深い一節がありました。
それは「仕事をイヤイヤながら取り組まない」というものでした。

確かに苦手なことをする際、どうしても気持ちが
乗らないことはありますよね。
「面倒くさいなあ」「本当はこんなこと、したくないのに」
といった思いです。

私も難しい案件の通訳を依頼されたときなど、
こうした考えが頭の中を占めることがありました。
いったんそのモードになってしまうと、
なかなか切り替えることができなかったのです。

「他にやることもあるし、あっちの作業をしてから
取り組もう」

「そもそも何で私、この業務、引き受けちゃったんだろう?」

などなど、それはそれは「やらない言い訳」を
数限りなく思い浮かべてしまっていたのです。

でも、そうしたスタンスでアプローチしてしまった
仕事程、現場でのパフォーマンスがよくなかったり、
満足がいかない結果になったりしてしまいました。

以来、こうした方法はやめようと思ったのです。

出来る限り好きになってみる。
仕事として請け負った以上、自分に言い訳はせず、
その面白い側面を探して取り組んでみる。

このような感じでアプローチするようにしています。

実はこれ、家事でも使えると思います。

たとえば家族と家事を分担しているとしましょう。
自分にとってその家事の内容が苦手だからとて

「ホントはこれって苦手なのに」

という空気をぷんぷん(?)漂わせながら取り組んでしまうと、
その場にいる家族にとっても苦痛です。
どうしても苦手なのであれば、
得意な家族に頼んで、家事分担を変えてもらうとか、
それが無理なら何らかの方法で楽しめるような工夫を
するとか。

手段はあるのではと私は思っています。
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手放すことで得るもの [日々の暮らし]

指導している大学で私は読書レポートを課題として出しています。
これは毎週1冊、好きな本を読み、そのことについて
30秒間、日本語でスピーチをグループ内でしてもらう
という活動です。ジャンルは何でもOK。マンガ、写真集、
ハウツー本も大歓迎です。大事なのは活字に親しんでもらい、
新たな世界を見るということなのですね。

よって、「すべてを熟読しなくて良いですからね。むしろ
斜め読みすることを自分に許してあげてくださいね」と私は
学生たちに伝えています。世の中には大量の本があるのです。
一字一句読み抜くことに縛られてしまうと、
せっかくある「他の素晴らしい本との出会いのチャンス」を
失ってしまいます。よって、「乱暴な(?)読み方」を
しても良いということを体感してほしいと思っています。

活動の後は、400字以内でその本のレポートを書き、
提出してもらっています。ZOOM授業でブレークアウト・セッションに
して小グループで発表をしているため、私自身は
全ての学生のすべての発言を拾い上げることができません。
よって、改めてレポートという形で提出してもらうと、どの学生も
本当に沢山のことを考え、本を選び、読んでいることがわかります。
一人一人のレポートにコメントを付けて返信する作業は、
私にとって非常にやりがいのあるフィードバックです。

学生たちが選ぶ本を見てみて、やはり時代柄なのか多いと感じるのが、
心理学関係の本です。人間関係の在り方、自分自身の生き方などを
綴った本を読む学生さんたちがいるのですね。
若い方たちは若いなりの悩みがあり、迷いがある。

本を通じて乗り越える力を得てくれたらと思います。

特に今の時代、そしてとりわけ集団を良しとする日本にいると、
どうしても私たちは「周囲の目」を気にしてしまいます。
同調圧力、です。

自分が何かやりたいと思っても、「周囲はどう思うかな?」
「こんなことしたら嫌われるかも」という思いは
恐怖心となってしまい、自分自身が一歩踏み出そうとしている
その足を縛り付けてしまいます。そして迷えば迷うほど、
さらに勇気がなえてしまい、一歩どころか一ミリも進めなくなり、
それと同時に、「ま、しょうがないよね」とあきらめてしまう。

そんな状況が人には多いように私は思うのです。

学生たちが紹介してくれる心理学系の本は、
そんな私たちの思いに応えてくれています。
「自分らしくて良いよ、周りを気にしなくて良いからね」
というメッセージが書かれています。

先日読んだとあるサイトに、

「人からどう思われるか、という思いを手放したとき、
人は本当にほしかったものを手に出来る」

ということが書かれていました。そして今こそが、
「人からどう思われるか?」という呪縛を乗り越えるべきなのだ、と。

イギリスに暮らしていたとき、よく耳にしたのが、

It's up to you(あなた次第よ)

というフレーズでした。

「どう考えるも、どのように行動するのも、あなた次第。」

でも、その自由には責任が伴われます。
そうした「責任」という自分への重圧をも受け入れた上で、
自分らしく生きていこうよ、というのがイギリス人の考え方でした。

Life is short!ですよね。そんな風に私も考えています。
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「信じる」 [日々の暮らし]

昨日のブログで元新橋芸者・千代里さんの文章を
ご紹介しました。その中で「信じる」ということばが
出てきました。

ちなみに英語の「信じる」には、believeとtrustがあります。
どちらも辞書を引くと「信じる」とありますが、
実は大きな違いがあります。

believeの場合、「相手の言った『内容』を信じる」ということ。

trustは、「『相手そのもの』を信頼する」というニュアンス。

比べてみると違いがわかりますよね。

以前、某首相が外交場面において"Trust me"と
述べたことがあり、それが大きな問題になったことがあります。
英語のニュアンスでは、trustというのは、かなり
大きな重みを有します。ゆえに、そう軽々しく使っては
いけないのでしょうね。

ところで最近私が気に入っているフレーズは、

「『信じている自分』を信じる」

です。

もちろん、「信じよう!信じるぞ~~」でも構わないのですが、
何かふとしたきっかけで、その思いがあっという間に
揺らぐこともあります。

だからこそ、「『信じている自分』を信じる」と
強く自分に言い聞かせることが、その思いを
確固たるものにさせ、自分自身も前に進むチカラを
得られるのではないかと思っています。

と考えると、この場合は自分へのtrustなのでしょうね。
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