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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年7月2日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「台湾 香港からの移住希望者を支援」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2007/02.html

どうぞよろしくお願いいたします。

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小山田咲子さんの本 [日々の暮らし]

昨日、小山田咲子さんの本から一文をご紹介しました。
今日もいくつか取り上げていきます。

本書を読むといつも元気そうな小山田さんという印象ですが、
大学3年の冬のとある日に、2年前の自分を思い出したとして
次のようなことを述べています:

「冬で、寒くて、ひとりだった。普通に生活しているだけなのに、
ありえないと思ってたことが突然起こって、当たり前に
在ったものがあっさり無くなって世の中は私と関係なく
まわっていて、私の人生なのに私の意志とは関係ないことが
次々やってきて、そういうの全部と向き合って迷って
選んだり乗り越えたりしなくちゃいけないらしいこれからもずっと、
なんてめんどくさい!と思って泣きたかった。」(p56)

小山田さんの身辺に具体的に何があったのかは
本書からはうかがい知ることができません。けれども
何かおそらく辛い経験をされたのでしょう。さらに
次の文章が続きます:

「これはもう泣かなきゃと思って、学校を休んで
泣けるだけ泣いた。」

「今はもう涙を流しはしないけど、それでも時々
思い出すと、胸が痛む。でもこれはその時の悲しみとは
もう別のもので、『あの時の私』がかわいそうだと思う
気持ちみたい。完ぺきな自己否定をしないかぎり
人間は立ち直ってゆくなあ、強いなあと思う。」(p56)

悲嘆のプロセスをこうして小山田さん自身が潜り抜けて
いった様子が分かります。

確かに人間というのは生きていれば何かしらの辛い体験を
すると思います。そのさなかにいるときは、もう立ち直れないと
思うものでしょう。けれども時の経過とともに、それは
少しずつ過去のものになっていくのも事実です。小山田さんの言う
「胸が痛む」というのは、そうした過去を思い出した際、
誰もが抱くのだと思います。でも、それは「『あの時の私』が
かわいそう」と思うがゆえに、心が、胸が痛むのでしょうね。
こればかりは何年経ったとしても、「痛み」自体は思い起こされる
ものなのかもしれません。

20歳前後にして小山田さんのこの感性。

青春時代が遥か昔になってしまった私が今読んでも、
大きく心に響いてきます。
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