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読書記録:「三谷隆正全集 第5巻(信仰と生活・書簡・英文・年譜)」 [日々の暮らし]

大学図書館が休館してしまい、借りてきた30冊も読み尽くしつつ。
だんだん活字に飢え始めています。「この後、何読もう?」と
迷う前に、読書記録です。

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私は自分の人生において3人の女性たちに影響を受けてきました。
そのうちの一人がハンセン病患者のために尽力した神谷美恵子先生。
その神谷先生が影響を受けたのが、教育者の三谷隆正先生です。
私にとって「師匠の師匠」という位置づけになります。

744ページからなる膨大な書であること、しかも旧仮名遣いであるため、
斜め読みしてしまいました。前半は三谷先生が敬愛していたヒルティについて。
「読書論」の概要を三谷先生自身が説明しています。そこからの引用です:

*p17
「良いものは残らず読むといふのは一見難題のやうに見えますけれども、
然しこれは実行の出来る事」

→考えてみたら私自身、古典や名著を読まねばと思いながら
結局ズルズルと今に至っているなあと反省。岩波文庫など
古典の宝庫なのですが。

*p18
「本は出来るだけ原語で読む事。翻訳といふものは如何なる場合に
於いても欠点があるのであつて、精彩ある独特な書物であればある程
翻訳は出来ないものである。」

→原語で読む大切さは神谷先生も指摘しています。「翻訳というのは
欠点がある」という部分。「翻訳」の代わりに「通訳」という語を
あてはめても同じだと思います。すべてぴったりとなるような訳出は
できない。話者の言ったことを私自身、理解できたとしても、
私のフィルターにかけた時点でニュアンスや情報を落とさざるを
得ないのですよね(特に放送通訳の場合、時間的制限があるため)。

*p19
「四六時中引切無しに読んでばかりゐるのは
宜(よろ)しくない。さうしないと、我々の精神的成長
といふものが惰弱な、第三者に依存したものとなつてしまふ。」

→「活字があれば読みたくなる、たくさん読まないと人生終わってしまう!」と
内心焦る私にとって、これは非常に意味がある一文でした。私自身、
活字を追っている割には、理性的に考えを深めていないのではと自省。
三谷先生はさらにp20で、「不健全な性急な過度の読書」を
戒めています。それは「一種の精神的脂肪過多」のようなものだ、と。

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本の後半には書簡集があり、神谷先生にあてた心温まる手紙が
掲載されています。結婚前の先生は、親に猛反対されながらも
ハンセン病の研究者をめざしていました。そうした20代半ばの本人に対して
「何しろ人生は旅です。さうしてこの旅は一歩々々ふみしめて
ゆつくり歩くことです。速度なんか問題にならぬと思ひます。」(p519)と
助言しています。

また、真珠湾攻撃の2か月ほど前、1941年10月23日付の手紙もあります。
当時の神谷先生は戦争の足音が近づく中、思うように自分の使命を
果たせない状況に苦しんでいました。
三谷先生のことばです:

「然し人間は得意でゐる時よりは苦しんでゐる時の方が、
却つて成長するやうに思ひます。いぢけないで成長されるやうに
祈ります。」

その後、神谷先生は様々な困難や紆余曲折を経て、
ハンセン病国立医療所・長島愛生園で医療に従事していったのです。
実現したのは1957年のことでした。

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本来であればきちんと通読すべき一冊なのですが、
抜き書きしたこの数か所に巡り合えただけでも幸せだと思っています。
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ひょっとして担当交替?今日のロイヤル例文 [英語]

本日は疑問詞までの項を読了。昨日までの例文から一転して
今一つツッコミドコロが少なく。本書は複数の著者が分担執筆
しているため、もしかしてこの部分で交代されているのかも。

*p183
Life sciences may advance to such a degree that man will be able to
live to the age of one hundred.
(生命科学はたいへん進歩して、人間が100歳まで生きられるほどになるかもしれない)

→すでに人生100年時代に突入

*p209
None of the telephones is 〔are]working.
(電話はどれもつながらない)

→イギリスに暮らしていた幼少期。公衆電話はどれも故障していました。
その思い出がよみがえります。

*p210
It's none other than Tom! We thought you were in Kuwait. Can it really be you?
(誰かと思ったら[ほかならない]トムだ!君はクウェートにいると
思っていたよ。ほんとうに君かい?)

→それまでの例文で中東の地名はほとんど出てこなかったため、唐突感アリ。
「君かい?」の「かい?」は最近あまり聞きませんよね。

*p213
This picture looks nothing like her. (この絵は彼女にちっとも似ていない)

→美術評論家に言われたら立ち直れなさそう

*p225
What do you think I have in my hand?
- I think you have some cherries.
(「手に何を持っていると思う」「サクランボだと思う」)

→親子の会話ならほほえましい。大人同士だと不思議な感じ・・・?

明日は形容詞のページへ突入。
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ちょっとした発見で自分を励ます [日々の暮らし]

何かと先が見えず、不安なニュースが目立つ昨今、どのように
すれば、一日を幸せに過ごせるか、私自身試行錯誤しています。
海外のような厳しい外出禁止命令が無いのはありがたいことですが、
今の日本の感染者数を考えると、とても楽観視はできません。

ただ、「不安」というのはいくらでも自分の中で増幅させられますので、
今だからこそ、その正反対を自分にしてあげるように心がければ、
案外前向きになれるとも思うのですね。もちろん、その前提条件として
自分や周囲が健康であることが挙げられます。そこは感謝せねばなりません。
そして忘れてはならないのが、最前線で対応に当たって下さる方々です。

さて、本題。最近のちょっとした発見。いずれもウオーキング中に
見つけました(順不同):

1.日の出とともに出かけようと玄関を開けたら、
頭上には奇麗な一直線の飛行機雲。減便になっている中、
見られたのは本当にラッキーでした。

2.ドイツ語由来と思しきとあるマンション名。最近独学で
ドイツ語を始めたので、どんな意味かと乏しい語彙力から推測。
帰宅後に辞書を引いたところ、実際にある古城の名前でした。
ただしそこはフツーのファミリー向け住集合住宅。

3.別のマンション名。地名の前に「オリーブ」が。
うーん、これってそれこそイギリスのフラット名に
"TSUKEMONO Westminster"という印象(個人の感想です)。

4.とあるマンションの自転車置き場にあった立て看板:「清々しい整列駐輪」。
要は「きちんと停めてね」ということなのですが、ことばを生業とする私が
引っかかったのが「清々しい」の用法。何となく違和感。
帰宅後に「てにをは辞典」(三省堂)で「すがすがしい」を
引いたところ、後にくる単語の例として「青畳、朝の空気、
休息、目覚め、浴衣」などがありました。
最初私は「清々しい」を人や感情のみに使うものであり、
人工物には使えないと解釈したのですが、用例に「浴衣、箒」も
出てきたので、この仮説はあてはまらず。答えはいまだナゾ・・・。

5.マンションばかり見上げながら歩いていたところ、
「大型マンションには階段状のフロアがある」ことに気づく。
気になったので帰宅後に調べたところ、建築基準法によるものらしいです。
日照権なども関係あるそう。

・・・ということで、ささやかな発見とその後の調べ学習(?)で
充実したときを過ごせました。こうして健康維持のために
外に出られるだけでも本当にありがたいと感じています。
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