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一見、いい人 [日々の暮らし]

いつもコメントを下さる読者さんが、先日私に大いなる気づきの
きっかけをくださいました(ありがとうございます!)。
以前「心の距離」というタイトルでブログをアップしたのですが、
それに関しての書き込みでした。内容としては、
「問題のある人というのは、実は一見良い人に見えてしまう」という趣旨でした。

それで思い出したのが、ずいぶん前に携わった通訳案件です。

そのとき私が担当したのは、海外からのお客様でした。
複数名で来日され、日本企業を訪問して交渉する際の通訳です。
事前に頂いた資料では今一つ内容がわからなかったのですが、
現場で訳出するにつれて意図が見えてきました。

その趣旨に私はどうしても共感できなかったのです。

もちろん、仕事ですので忠実に依頼主のことばを訳すのは
通訳者の任務です。けれども、私の中ではモヤモヤ感が募り、
やがて「これは私の人生哲学に反する」と思えてきました。

一日だけの案件でしたので、何とか無事に終えられましたが、
心は葛藤と疲労感でクタクタになっていました。
その後、ご指名でリピートの依頼もあったのですが、
丁重にお断りさせていただいたのを覚えています。

もちろん、その会社の方々は「仕事」としてなさっているわけですので、
先方を責めることはできません。私の価値観と合わなかった。ただ
それだけの話です。

ただ、一方で特徴的だったのが、「その方々が一見とてもとても
良い人に思えた」ということでした。

幸い、この業務は単発でしたので、私の方から
距離を取らせていただくことができました。でも、
もしこれが長期プロジェクトなどであった場合、私自身の気持ちが
どのようにシフトしてしまったのかは自信がありません。
自分でも知らないうちに自分の人生哲学を曲げてしまうような
感じになったかもしれないのです。

心理カウンセラーの下園壮太氏は、「『一見、いい人』が一番ヤバイ」
という本で鋭い考察を加えておられます。あの仕事のときにもし
本書をあらかじめ読んでいたら、あれほど私も動揺しなかったかも
しれません。

当時のことを改めて振り返り、自らの仕事観や人生観について
考えることができました。コメントを頂き感謝です。
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10個見つけてみる [日々の暮らし]

昨日のブログで、頑張り過ぎないということを書きました。

夜7時前に就寝した翌朝、いつも通りお散歩へ
出かけました。この日、私が試みたのは

「自分が幸せと思えることを10個見つけること」

でした。記憶をたどりながら、あるいは歩きながら
目の前で見つけたことなど、「自分にとっての快」を
10個探してみたのです。

以下のようなリストが出来上がりました。

1.前の日のコンビニレシート金額が777円だった

2.午前4時前の起床後、どうしてもアイスが
食べたくなったので冷凍庫から出して食べた!

3.お散歩中、工場の門扉を社員の方が開け切ったときの
「カーン」という音が、「サザエさん」の終わりの曲に
出てくる「カーン」と同一だった

4.歩きながらマスクを外して神社の空気を思い切り吸った

5.花の名前を調べるアプリを赤い花にかざしたところ、「タチアオイ」
という名前であることを知った

6.セミの大合唱を聞きながら、「聞こえるありがたさ」を
実感した(聞くことができなければ、通訳の仕事は
出来なかったので)。

7.英語という言語を通じて、日本語以外の情報入手手段を
得ていられることをありがたく感じた

8.娘がハムスターを飼ってくれたおかげで、
生き物から癒しをもらえた

9.小学校から現在にいたるまで、様々な「学びの場所」で
素晴らしい先生方に出会えた

10.波乱万丈の人生を歩んできた身近な人たちの
体験談を聞き、勇気を頂いた


このような感じです。

一日10個、「ありがたいな、嬉しいな」ということを
探してみたいと思います。
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頑張り過ぎない [日々の暮らし]

暑い毎日が続きます。それでも仕事や日常生活を
営むわけですので、やはりどこかで疲れは溜まりますよね。

先日の事、私もなぜだかわからない疲労感に見舞われ、
何と夜7時前に床につきました。部屋の外で
家族の話し声やテレビの音、友だちからのLINE着信音も
あったはずなのですが、一切目が覚めず、こんこんと寝ていました。

そして目が覚めたのが、いつもの早朝シフトと同じ
午前03:40でした。
自然に目が覚めたので、そのまま少しだけ
ゴロゴロして、その後、思い切って起き上がりました。

やる気がどうしても出なかったり、意味不明の眠気など、
人は言葉では説明できない状況に見舞われることが
あります。

でもそのような時、私を含めて多くの人は
「でも、あとひと踏ん張り!」
「これまでも頑張ってきたでしょ?だからやらなくちゃ」
と思ってしまうのですよね。
それまでの成功体験(=何とか頑張って成し遂げた体験)が
あるがゆえに、粘ろうとしてしまうのです。

頑張ること自体は悪いことではありません。
現に私など、頑張って達成したことというのは
自己肯定感に結び付くと強く信じていますので、
余計「無理をしてでも」というマインドになってしまいます。

でも、それもライフステージに応じて変えた方が
良いというのが最近の私の考えです。なぜなら、
人は確実に年齢を重ねており、体力も昔とは異なって
きているからです。

「あれ?昔は踏ん張りがきいたのに、なぜ今はダメなのかな?」

「頑張ったらできていたはずなのに、どうして
うまく行かないのかしら?しかもこの疲労感、ナゼ?」

こんな風に思ってしまいます。

鎌田實先生の「がんばらない」という本が出たのは
すでに20年も前のこと。その当時から人は頑張り過ぎて
いたのかもしれませんね。

今回の私は、ただひたすら睡眠をとりました。
そしてすっきりしていつも通りにお散歩に行き、
その後も書きものや読書に時間を費やせました。

一方、「やることリスト」のチェックボックスはすべて
チェックを入れずじまいではありましたが、
お陰でエネルギーもリセットされて、気持ちも前向きに
なっています。

何はともあれ疲労回復。そのための睡眠、ですよね。
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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年8月21日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「ユヴァル・ノア・ハラリ氏"コロナとの向き合い方"(3)」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2008/21.html

どうぞよろしくお願いいたします。

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二宮さん [日々の暮らし]

いえ、「嵐」の二宮君ではありません、念のため。
毎朝ウォーキング中にすれ違う方を私が勝手に
名付けただけです。

普段私は早朝に近所を散歩しています。おおむね1時間ほど。
メモ帳とペン、そしてスマホを手にしてひたすら
歩いています。途中には神社もあるため、そちらをお参りするのも
日課となりました。

神社は良いですよね。大きな木が境内にはたくさんそびえていて、
今の時期はセミの鳴き声で満たされています。
境内をくぐり、一歩中へ入ると、周囲の喧騒はなく、
ひたすら神々しい雰囲気が醸し出されています。

取り立てて私は何かの宗教をあがめているわけではないのですが、
神社やお寺、教会など、神聖な場所は好きです。
仕事の移動中にそうした場所を見かけた際には
できるだけ時間をつくって訪れるようにしています。

さて、60分ほどのウォーキングをしていて、いつも
すれ違う方がいます。まだ20代ぐらいの男性なのですが、
法律関連のテキストを読みながら歩いておられるのです。

二宮金次郎も子どものころ、歩きながら本を読み、
勉強をしていましたよね。「大学の書を懐にして、途中歩みながら
是を誦し、少も怠らず」と自著にもあります。
その姿を思い出し、私はその方の事を勝手に「二宮さん」と
心の中で呼ぶようになったのです。
法律関連のテキストですので、公務員試験なのかなと想像しています。

雨の日も猛暑の日も、ひたすらテキスト片手に励む姿を
拝見すると、すれ違うたびに「がんばれ~~~!」と
応援したくなります。
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デイユース再び [仕事]

過日思い切って試してみたビジネスホテルのデイユース。
制限時間6時間ほど、ホテルの一室を使って
仕事をする、というものです。PCやコードや
仕事用資料などを車に積み込み、予約をした地元のビジネスホテルを
使ってみたところ、想像以上の快適さでした。
お陰で自宅の何倍もの生産性だったと感じています。
結局そのホテルは次の週も使わせていただき、
ずいぶんと仕事を進めることができました。

これに味をしめてしまい(?)、お盆中も予約をしようと
しました。ところが、コロナであるにも関わらず
お部屋はすべて満室。

うーん、困りました。

そこでさらにネットで調べたところ、車でさらに少し行ったところに
別のホテルを発見。しかも先日使った所よりも
お手頃価格でした。早速予約をして、同じく
車に仕事道具を入れて利用してみました。

やはりこちらも使ってみて大正解!

お昼ご飯はあらかじめ調達して、飲み物も自宅から
持ち込みました。よって、完全に「缶詰め」状態です。
ベッドもありますので、少し仮眠をとることも
できました。

ちなみに前回の利用を踏まえて、今回は持ち物にも
工夫しました。たとえば、家であらかじめ水筒に
お茶を入れて持参したり、冷え対策用にレッグウォーマーも
鞄に入れました。また、部屋着も持っていきました。
お陰でスカートのしわを気にせず、仕事に集中できましたね。

ちなみに私が缶詰め仕事で取り組むのは、もっぱら
原稿執筆です。締め切りがあるため、何としても集中して
書き上げたいところですので、デイユースは本当にありがたいと
感じています。

昔の文豪も、よく旅館に缶詰めになっていましたよね。
このような状況だったのではと想像しています。
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ひたすら教訓探し [日々の暮らし]

通訳の仕事を続けてきて「良かったなあ」と思えることが
あります。それは「一人反省会」の習慣がついたことです。

通訳業というのは、予習に終わりがありません。
事前にどれほど沢山の資料を頂いていたとしても、
当日何が飛び出すかわからないのですよね。
よって、出来る限りの準備を事前にすることになります。
それをすればするほど、予習がエンドレスに思えてきます。

「ここまで勉強したけれど、果たして十分かな?」

「当日、とてつもなく難しい話題が出てきたらどうしよう」

こうした不安と常に向き合いながら、当日の業務を
おこなうことになるのですね。

私の場合、どれほど念入りに準備をしていったとしても、
業務終了の時点で「あぁ、今日は完璧にできた!」と
思えた日は一度もありません。

「訳語自体は丁寧に選べたけれども、自分の声の出し方を
もう少し工夫すればよかったな」と思ったり、
「確かによく訳せてはいたけれど、マシンガンだったなあ」
と感じることなどしょっちゅうです。

そうした中、自宅への帰路は「一人反省会」をして
戻ることになります。やり方はきわめてシンプル。
最寄り駅に着くまで、自分のパフォーマンスを振り返り、
次回へ向けての改善点を頭の中に列記する。
これだけです。駅に着いたらおしまい。

おかげで、うじうじと悩みを「お持ち帰り」せずに
済んでいます。

これを私は日常生活でも当てはめるようにしている
のですね。家の事、人間関係など、自分の中で「うーん、
もっとああしておけば良かったな」と思ってしまう時も、
そこで「一人反省会」をします。そして、自分の中で
不十分だったことや反省すべき点を描いたら、

「で、次への教訓は何?」

と自問自答します。それを日記に箇条書きしたら終了。

大事なのは「再発防止」と自分に言い聞かせています。
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「通訳者のひよこたちへ」更新いたしました [掲載]

第456回のタイトルは「伝わる方法について考える」、
書籍紹介では、「プラス・ルネサンスの生き方」(津田妙子著、
新人物往来社、1995年)を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/18816.html

どうぞよろしくお願いいたします。
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リラックスすること [日々の暮らし]

通訳の仕事というのは、大いなる緊張感を伴います。
同時通訳であれ、逐次通訳であれ、話者が話した言葉を
目的言語に変換するというのは、左脳をたくさん
使うのですよね。

随分前の事。仕事を詰め込み過ぎていた時期がありました。
ちょうど子育てが大変だったころで、それ以外にも
色々とモヤモヤしていた時期でした。
そうした「課題」を考えたくなかったがゆえに、
仕事を大量に入れて、勉強をしていたのです。
それが現実逃避になっていたのですから。

そうした生活を続けた結果どうなったかと言いますと、
「常に緊張状態」であることが、体に染みついて
しまいました。

必要以上に体に力を入れてしまったり、
スケジュールがポッカリ空くことに罪悪感を覚えたり、
常に何かをしていれば大丈夫と勝手に安堵していたり、

という具合です。

先日読んだ本に、次の一文がありました。

「ストレスや緊張が多ければ多いほど、
仕事の完成度は落ちる」

自分ではたくさん勉強をして、常時緊張感の下にあれば
良い通訳ができると思い込んでいました。

でもそれは、案外自己満足にすぎなかったのかもしれません。
「力を抜く」ということを忘れたままだった自分の人生なのかもしれません。

遅まきながら「リラックスすること」を自分に言い聞かせて
います(それをまた「課題」にしてしまわないようにせねば・・・!)。
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「心の距離」 [日々の暮らし]

定期的にコメントをお寄せくださるみなさま、いつも
本当にありがとうございます。本ブログはコメントを
非公開にしているのですが、いただいたコメントは
おひとつおひとつ、私の励みになっており、大切に
拝読しております。引き続きよろしくお願いいたします。

さて、先日頂いたコメントに「心の距離」というお言葉が
書かれていました。ネガティブなことを言う人が周囲にいると、
自分も影響を受けやすくなりますよね。そうした方々との
間にあえて「心の距離」をとる、という意味でお書きになられていました。

私もまったく同感です。

人生は一度しかありません。しかも今回のコロナをはじめ、
いつ自分の身がどうなるかは、絶対的な保証もないのですよね。
そうした貴重な人生時間を生きるのであれば、
幸せを追い求める方が良いというのが私の考えです。

よって、不満ばかりを口にする人や、不平を周囲に言う人
というのは、一緒にいても辛くなってしまいます。

もちろん、当の本人は辛いからこそ、そうした言動をとるのは
分かります。私にも経験がありますし、人間である以上、
年がら年中、何のグチもなくハッピーというわけには
いかないのでしょう。

では、大人と子供にはどういった違いがあるでしょうか?

子供の場合はまだ人生経験がないため、
泣いたりわめいたり不平不満をワーッと口にするしか
方法はありません。それ以外に辛さを軽減する方法が
ないからです。

でも大人というのは生きてきた年月や人生経験の積み重ねが
あります。つまり、そうしたネガティブモードからの
脱出法を身につけて、自ら応用して立ち直る試みを
子供よりはできる立場にいます。

よって、人生経験を積んだ大人であるならば、
そのように試行錯誤をして自分自身を幸せに導いて行くことが
大事だと私は考えています。

幸せというのは伝播しますし、不満も伝播します。
ついつい頑張ってしまうタイプの人は、不満を言う人の
そばにいながら「私さえ耐えれば大丈夫」と思いがちです。

でも気を付けなければいけないのは、そうした「我慢」も
度を越えるとその人自身を不幸にしてしまい、
それがさらにその人の周囲にまで伝染してしまいます。

そうならないためにどうすべきか?

まずは「心の距離」を冷静に考えることが大事なのでしょう。
今回いただいたコメントから、私はそのことを強く感じたのでした。

ありがとうございます。
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