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理解者は意外なところに [日々の暮らし]

楽しいことや大変なことなど、生きていると色々なことに
遭遇しますよね。いつもポジティブに毎日ハッピーで
いられれば、これほど幸せなことはありません。
けれども様々な出来事に出会うのもこれまた人生。
「さっきすごーく嬉しいことがあったばかりなのに、なんで
その直後にこんなに大変なことが?」と感じることも
大いにありうるわけです。

身近な人が自分の気持ちに寄り添ってくれれば
本当に心強いと思います。共に喜んでくれる、
一緒に悲しみを共有してくれるなど、すぐ近くにいる人が
そうした波長を示してくれると、本人も救われることでしょう。

では、そうした「身近な共感者」は必ずいるのでしょうか?

私は「必ずしもそうではない」と思っています。
もちろん、理想はそうした「思いのシェアをできる人」が
すぐ近くにいることです。でも人間の価値観は人それぞれ。
たとえ家族であっても、物事のとらえ方や反応の仕方というのは、
こちらが期待している通りになるとは限らないのです。
異なる人間ですので、それが大前提です。
身近にいる分、自分が思う通りの反応をしてくれる「はずだ」と
思ってしまうからこそ、余計にそうならなかったときの
失望も大きくなるのだと思います。

むしろ、身近な人間にそうした期待を高めてしまうこと
そのものが、苦しみの源になるのだと私は感じます。
逆を言えば、自分の思いをシェアする相手を、
「遠い所」に求めても良いと思うのです。
案外そうした物理的・時空的距離が遠いところにいる人、
あるいは古典や書籍といったところから、
自分の思いとぴったりの慰めを与えられるかもしれません。

理解者は距離と時間を超えて意外なところに必ずいる。

そう思えるだけで、人は歩み続けられると思います。
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