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マズローの欲求5段階説 [日々の暮らし]


大学院生活を送っていたころ、組織論の授業で
「マズローの欲求5段階説」を学びました。

https://ferret-plus.com/5369

人は生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求の
順に満たされていって初めて自己実現へと到達するのですね。
つまり、この順番を経なければ難しいということに
なります。

具体的に見ると、たとえば生理的欲求というのは
食欲や睡眠欲を満たすということになります。
これらは生存する上で不可欠ですよね。一方、
安全欲求というのも、安心して暮らせる家が必須となります。
戦争で家を失ったり、難民キャンプで暮らしたりする人たち
というのは、この部分で非常に苦しい状況下にいることに
なります。

社会的欲求は、家族や友人、学校や会社内などで自分を
受け入れてもらいたいという帰属欲求です。この部分が欠けると
心が不安定になり、うつ症状が現れることもあります。

5段階の欲求はどれも非常に大切だと思うのですが、
私個人としては、特に上記3つが大事だと感じます。

では、万が一、こうした欲求のどこかで欠落を発見したら
人はどうすれば良いのでしょうか?

たとえば私の場合、仕事などが多忙になり、睡眠を削って
対処する日々が続いたことがあります。

体力があるうちは大丈夫なのですが、やはり年齢を重ねるごとに
無理が効かない体になっています。「昔はできたのに」と
ついつい過去の栄光(?)にすがったところで
寄る年波には勝てません。それなのに「生理的欲求」を
犠牲にして踏ん張り過ぎてしまうと、どこかでガタが
出てきてしまうのですよね。

一方、「安全欲求」が満たされない場合はどうすべきでしょうか?
たとえば、仮に今、コロナで収入が不安定になってしまい、
生活が苦しいというのであれば、何らかの支援を探さねば
なりません。政府支給の給付金を調べて申請したり、
今の家賃すら大変なのであれば、自分の収入に合った場所に
引っ越すというのも選択肢の一つです。

それは「敗北」ではありません。

世の中が変わっていった。自分の境遇も変わった。

だから自分も「身の丈に合った生活をしていく」と
覚悟をするしかないのです。今の状況にしがみついて
不安感を募らせて心を不安定にさせてしまうぐらいなら、
腹をくくり、自ら動くしかないと私は考えます。

その一方で、社会的欲求となる「家族や友人」「学校や職場」
といった「人」の存在は、たとえ金銭的にきつい状況に
自分が置かれていたとしても、その人の心を支えてくれると思います。
相手の一言がその人に大いなる力を与え、希望と
生き甲斐をもたらしてくれるからです。

コロナ渦で不安な日々が続く中、ふと大学院の授業を
思い出し、これを書いています。
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気分を良くするには [日々の暮らし]


少しずつ日没時間が早くなり、夕方4時ぐらいになると
もう夜のような感覚になりますよね。
かつて暮らしていたイギリスは、日本よりももっと
北に位置していますので、日照時間が本当に短く、
冬になるたびに気が滅入りました。

大学院生活のために渡英したのは9月終わり。
日本はまだ汗ばむ日もあったぐらいでしたが、
ヒースロー空港に降り立つと風は冷たく、
ロンドン市内には大木の大きな葉が路上に
沢山落ちていました。すでに冬が到来していたのです。
帰国してからも、この時期になると当時のことを
思い出しています。

ところで日本で日照時間が再び長くなるのは来年1月16日からです。
私は暦カレンダーが好きで、チェックしたところ、
そのように書かれていました:

https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2021/s1101.html

こうして具体的な日付がわかると、その日が
待ち遠しくなりますよね。あと2か月弱です。

さて、今のように夜が長く暗い日々が続く中、
どのようにしたら気分が晴れるのか工夫してみるのも
大事ですよね。先日読んだフリーペーパーに
印象的な言葉がありました:

「困難な状況に慣れてしまうとつい忘れてしまいがちですが、
やさしい自分でいることは、すごく気分がいいことです。
世界を見渡してみれば、あちこちに不安や悲しみが
あふれているけれど、だからこそ、この世の中には
もっとやさしさが必要だと思うのです。」

このように語るには、デザイナー兼イラストレーターの
クリストファー・デイヴィッド・ライアンさんです。

「優しさ」というのは、自分が受け手になると
とても気分が良いですよね。思いがけず親切をされて
感動するとか、優しく寄り添ってもらえて救われるなど、
優しさによって人は前を向くことができます。

けれども、本当のやさしさというのは、受け身だけで
完結するわけではないのですよね。
自分が優しくすれば自分の心も温まり、相手も喜び、
それが目の前で繰り広げられます。それが
自分の気分を持ち上げてもくれるのです。

「相手を思いやるやさしさを持つことは、いつでも、
誰にだってできること」と語るクリストファーさん。

ステキな言葉をいただきました。

(「THE NIKKEI MAGAZINE STYLE」2020年11月18日号)
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バックボーン [日々の暮らし]

紙新聞の話をこのブログでは本当によく綴ってきたなあと
我ながら思います。そう言えば大学に入学したころ、
一番入りたかったのは「新聞部」でした。
子どもの頃、小学生新聞を愛読していましたし、
3人家族ではあったものの、壁新聞なるものを
作ったこともありましたっけ。家族の名前の頭文字を
取り「STN新聞」と名付けて月刊で発行していました。
四コマ漫画あり、家族内の出来事をトップ記事にしたりと、
作っては両親に見せ、それを壁に貼ってもらったことを
思い出しています。

STN新聞をせっせと作っていたのは小学校4年の
ときでした。その夏にオランダからイギリスへ引っ越したの
ですが、家族だけ里帰りができる制度が父の勤務先では
あったのですね。よって、父はイギリスでお留守番。
母娘は、かつて暮らしていた横浜の家に戻り、
2か月ほど、つまり、初秋の日本の生活を久しぶりに
楽しんだのでした。

そのころ作成したSTN新聞で、今でも私が覚えている内容が
あります。それは、当時私が凝っていた「のりバター」。
味付け海苔にマーガリンを塗って食べる、という
いわば私のおやつだったのですが、なぜかこれが
私にとっては大の御馳走であり、それを四コママンガに
したことがありました。カロリーや塩分は
この際度外視です・・・。考えてみれば、海外生活での
海苔は貴重品でしたので、その反動があったのかも
しれません。

もう一つ、記事にしたのは当時編入した地元小学校での
出来事。そのころの教室の机というのは、二人一組で
木製の机を使うというタイプでした。男女隣り合わせで
並んで座ります。

とある日のこと。習字の時間がありました。

私にとっては習字たるものは人生初だったのですね。
筆?硯?墨?半紙?ナニソレ???という状態でした。

そのとき、お隣に座っていたS君がそんな私を見て
こう言ったのです。

「習字もできないなんて、日本人じゃねーよな」

後の席の男女二人に向かってこのように語ったのですね。

そのセリフは私にとって強烈でした。悔しさも
あったのでしょう。STN新聞にそのエピソードを
セリフ丸ごと書いて記事にしたのを覚えています。

けれども、子ども心にこうも思ったのです。

「そうよね。いくら海外で長いこと暮らしていたと
しても私は日本人なのよね。だから、自分が日本人で
あるということを忘れてはいけないんだ。」

この思いを私はずっとずっと心の中に抱きながら
生きてきたのだと思います。

S君のあのセリフは10歳の私にとり強烈でした。
でも、同時に、私の中に一つのバックボーンを
与えてもらえたとも思っています。
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我慢する?やめとく? [日々の暮らし]

仕事やその他もろもろのことが積み重なり、
疲労困憊になったことがあります。
そのようなときに限って、やるべきことは山積。
台所の流しには汚れたままのお皿が積み重なり、
部屋の床を見れば埃がたまっています。
冷蔵庫を開ければ残り物も殆どナシ。
書斎の机には未開封の郵便物やら、手がけるべき原稿やら
書類やらが散乱しています。

そう、重なるときは重なる。
そういうものなのです。

目の前の「片付けるべきこと」、いわゆるTO DO LISTが
大量にあるときというのは、自分の心にも
余裕がなくなります。ガソリンでいうところの
満杯状態ですので、これ以上注がれても困る
というわけです。

そうした心理状態のとき、さらに突発的な出来事が
生じてしまうと、人は途方に暮れてしまいます。

「なんだって今、このタイミングで?」
「どうして私ばかり?」

このような思いにとらわれてしまうことでしょう。
時期の悪さを恨んだり、その要因となった相手や物事に
非があると思いたくなったりで、心はどんどん
重くなっていくのですよね。

そのような時、どう対応するかは難しいところです。

「とりあえず自分が我慢すれば、丸く収まるよね」
「ここで意見を言ったらきっとケンカになる。
だから言うのはやめよう。それなら相手も傷つかないし」

こういうスタンスをとることもできます。

かつての私はそうでした。

我慢をすると決めたなら、徹底的に、
それこそ変な話、墓場に持っていくぐらいの気概で
耐え抜くことが必要だと思います。自分は決して
そのことについて弱音は吐くまい、絶対に愚痴らない、
というぐらいの強い強い決意が必要です。

さもなければ、どこかで爆発してしまうからです。

火山が何十年何百年とマグマをため込んで、
ある日突然爆発するようなことをいざ自分がしてしまうと、
その矛先となった相手にしてみれば大迷惑です。
それどころか、なぜ、このタイミングで突然
爆発してきたのか、戸惑うばかりでしょう。

「自分さえ我慢すれば」という考えは、
一見「耐え抜く人格者」として美徳にすら思えます。

けれども、永久に忍耐をし続けるという相当の
覚悟がないのであれば、中途半端に我慢をしては
いけないと思うのですね。

自戒の念を込めて、これを書いています。
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「通訳翻訳ジャーナル」2021年冬号に掲載されました [掲載]


本日11月20日発売の「通訳翻訳ジャーナル」に
インタビューが掲載されました。
『アメリカ大統領選の放送通訳』というタイトルです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08LNJHSBY


お時間がございましたらお手に取っていただければ
幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


通訳翻訳ジャーナル 2021年1月号

通訳翻訳ジャーナル 2021年1月号

  • 出版社/メーカー: イカロス出版
  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 雑誌



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パートナー [日々の暮らし]


最近「真のパートナー」とはどういう存在なのか、
考え続けています。英語でpartnerを引くと
「仲間、夫婦、共同経営者、ダンスの相手」と
いった語義が出てきます。法律用語では
「正弁護士」という意味もあります。
イギリスに暮らしていたころ、"○○& Partners"
といった看板をよく見かけました。

生きていく上で人は色々な人と出会いますよね。
自分と相性の合う人もいれば、今一つということもある。
意気投合して常に行動を共にしていても、
お互いの環境が異なって来たり、離れ離れになってしまったりで
疎遠になってしまう。

それが人生なのだと思います。

ちなみに私が思う「真のパートナー」というのは、

「その人といることで、自分に大きな気づきが
与えられる。そして自分もその人に新たな視点を与えることができる。
お互いに分ち合うことで共に成長していくことができる相手」

であると考えています。

ですので、「人間同士」のパートナーはもちろんのこと、
たとえそれが自分の飼っている動物であっても、
そうしたパートナーシップは可能だと思うのですね。
ペットの場合、自分がその存在から癒され、
自分もその動物に愛情を注ぐ。そうすることで
共に前に進んでいけるからです。

パートナーとの出会いは、タイミングやご縁が大きいと思います。

だからこそ、素晴らしいパートナーと出会えるよう、
自分の心を整えて生きていきたいと思います。
そしていざ心から尊敬でき、共に成長できるパートナーと
出会えたならば、そのご縁を大切に大切にしていきたいと思うのです。
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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年11月18日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「次期米大統領にバイデン氏」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2011/18.html

どうぞよろしくお願いいたします。

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素を出す、ということ [日々の暮らし]

毎月楽しみにしている「メトロポリターナ」掲載の
元新橋芸者でエッセイスト・千代里さんのコラム。
今月は、対人関係についてでした。

千代里さん自身、次のように悩まれたそうです:

「自分のなかに、『女性は、人は、母は、
社会人は、こうあるべき』というしばりを
たくさんつくって、そこから外れたら非難
されるんじゃないかという恐れも持っています。」

確かに生きているとそのように思えることがありますよね。

私も以前、こういう言葉を聞かされたことがあります:

「女というのは耐えるもの。
一生忍耐を持っていきていくもの。
ただひたすら我慢して我慢して夫と子供に仕えるもの。
それが女の一生。」

・・・確かにそう言われればそれも一理あるかもしれません。
でも時代は確実に前進しています。古き時代であれば
上記のような考えが社会の中で占めていた
ことでしょう。でも、世の中はそのまま静止しているわけ
ではありません。どんどん新たな価値観が入っているのです。

千代里さんのことばをもう少しご紹介します。

「大人になると、『こうしないと嫌われる、バカにされる、
見限られる』などと不安に思って自分を飾ろうとしますよね。
でも、自分を偽ると、偽った自分に見合った人と縁ができるし、
本音で人と付き合えば、心の底から共鳴してくれる人との
出会いが訪れるなぁとつくづく思います。」

そうなのですよね。表面的にふるまっていれば、そこに
吸い寄せられるような人と接することになり、はたまた
表面的な関係で終わってしまうのかもしれません。

「『素の自分、心から感じていること』を
勇気を出して見せていく。そして、そんな自分を
『いいな』と思ってくれる人と生きることが幸せだなと
しみじみ思う」

このように千代里さんは結んでいます。

(「お多福美人講座」『メトロポリターナ』vol.213 Nov.2020)
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想像力、どう使う? [日々の暮らし]


気が付けば今年も残り40日ほどとなりました。
コロナで開けてコロナで暮れる一年でした。
大変な思いをされた方、心理的に辛い日々を過ごされた方など、
本当に誰もが色々と感じるところの多い12か月だったことでしょう。
私自身、今年は例年以上にさまざまなことを考えた年でした。
コロナがなければ、きっとここまで自分の人生と
自分の深層心理に向き合うことはなかったと思います。

先日読んだ曹洞宗建功寺住職・枡野俊明さんのことばが
とても印象的でした:

「変化は人に戸惑いや不安をもたらします。」

そうなのですよね。今まで普通に通勤・通学をして
職場へ行き、一日を過ごす。余暇では美術館や
コンサート、運動を楽しむ。そういったことがすべて
制限のかかった状態になってしまったのです。
それが人々の心に迷いをもたらすのは大いに頷けます。

ではそうしたもやもやした気持ちになったとき、
どうすべきでしょうか?枡野氏は次のように述べています:

「禅では『即今、当処、自己』という言い方をします。
たった今、自分がいる場所で、自分ができることを
精一杯やっていくことが大切だという意味です。
過去にとらわれたり、未来に頓着したりするから、
今がおろそかになるのです。」

人間というのは、「今、この瞬間」に息をして
生きています。私の場合であれば、呼吸をしながら
キーボードにこの文章を打ち込んでいるのが「今」
ということになります。

それなのに、過去のことをあれこれ考えたり悔やんだり、
はたまたまだ起きてもいない未来について空想しては
胸が締め付けられたりしてしまうことがあります。
そんな時の自分の呼吸は浅かったり、また、私の場合は
どうも呼吸自体を止めてしまっていたりするのですよね。

これでは体に良いはずがありません。

「人は乗り越えられる試練しか与えられないものだと
思います。」と締めくくる枡野さん。

今が辛くなるのは、ひとえに「自分の頭の中の
想像力」だと私は感じています。せっかくの想像力です。
もっと幸せなイマジネーションに使いたいですよね。

(「人間発見」 日本経済新聞2020年11月16日月曜日夕刊)
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「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第468回がアップされました。
タイトルは「迷ったらまず行動」、
書籍紹介は「子どもを信じること」(田中茂樹著、大隅書店、2011年)
を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/19646.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。

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