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バックボーン [日々の暮らし]

紙新聞の話をこのブログでは本当によく綴ってきたなあと
我ながら思います。そう言えば大学に入学したころ、
一番入りたかったのは「新聞部」でした。
子どもの頃、小学生新聞を愛読していましたし、
3人家族ではあったものの、壁新聞なるものを
作ったこともありましたっけ。家族の名前の頭文字を
取り「STN新聞」と名付けて月刊で発行していました。
四コマ漫画あり、家族内の出来事をトップ記事にしたりと、
作っては両親に見せ、それを壁に貼ってもらったことを
思い出しています。

STN新聞をせっせと作っていたのは小学校4年の
ときでした。その夏にオランダからイギリスへ引っ越したの
ですが、家族だけ里帰りができる制度が父の勤務先では
あったのですね。よって、父はイギリスでお留守番。
母娘は、かつて暮らしていた横浜の家に戻り、
2か月ほど、つまり、初秋の日本の生活を久しぶりに
楽しんだのでした。

そのころ作成したSTN新聞で、今でも私が覚えている内容が
あります。それは、当時私が凝っていた「のりバター」。
味付け海苔にマーガリンを塗って食べる、という
いわば私のおやつだったのですが、なぜかこれが
私にとっては大の御馳走であり、それを四コママンガに
したことがありました。カロリーや塩分は
この際度外視です・・・。考えてみれば、海外生活での
海苔は貴重品でしたので、その反動があったのかも
しれません。

もう一つ、記事にしたのは当時編入した地元小学校での
出来事。そのころの教室の机というのは、二人一組で
木製の机を使うというタイプでした。男女隣り合わせで
並んで座ります。

とある日のこと。習字の時間がありました。

私にとっては習字たるものは人生初だったのですね。
筆?硯?墨?半紙?ナニソレ???という状態でした。

そのとき、お隣に座っていたS君がそんな私を見て
こう言ったのです。

「習字もできないなんて、日本人じゃねーよな」

後の席の男女二人に向かってこのように語ったのですね。

そのセリフは私にとって強烈でした。悔しさも
あったのでしょう。STN新聞にそのエピソードを
セリフ丸ごと書いて記事にしたのを覚えています。

けれども、子ども心にこうも思ったのです。

「そうよね。いくら海外で長いこと暮らしていたと
しても私は日本人なのよね。だから、自分が日本人で
あるということを忘れてはいけないんだ。」

この思いを私はずっとずっと心の中に抱きながら
生きてきたのだと思います。

S君のあのセリフは10歳の私にとり強烈でした。
でも、同時に、私の中に一つのバックボーンを
与えてもらえたとも思っています。
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