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寄り添うということ [日々の暮らし]


私が毎週楽しみに読んでいる日経新聞夕刊連載
「今日も走ろう」は、プロトレイルランナーの鏑木毅さんが
執筆しておられます。かつて公務員だった鏑木さんが
プロに転身され、レースや日常生活において感じていることを
綴っています。幅広い視点から書かれており、いつも
考えさせられます。

鏑木さんはいつも冷静沈着、という印象を私は受けていたのですが、
やはりコロナが長引き、仕事が思い通りにならなくて
随分と悩んでいることが先日のコラムには書かれていました。
自暴自棄になってしまい、実家のお母様に普段は
口にしないような言葉を言ってしまったのだそうです。
しかし、お母様は寄り添いながら鏑木さんを諭してくださった
というエピソードが書かれていたのでした。

ご本人によると、これまでの人生で2回、大きな困難に
ぶつかり、身近な人に救われたとあります。
一度目はお母様、二度目は当時交際していた奥様でした。

鏑木さんはこう述べています。

「当時の私にとっては極めて重大であり、そのまま
死を選択しかねない異常な精神状態から救われたのである。」

つまり、お二人が寄り添ったからこそ、今の鏑木さんが
あるのですよね。さらに続きます:

「生きることに悩んでいる人には、寄り添う一言が
大きな意味を持つ。」

そうなのですよね。「寄り添う」側が何を述べるかで、
本人の人生が大きく変わり得るのです。

私が敬愛する慈善活動家・佐藤初女先生は、悩める人を
受け入れる際、ただただ心を正面から開いて
相手の話を聴き続けておられました。
「聞き役に徹する」場合、ことばをたとえ述べなくても、
それが形を変えた「寄り添いの一言」になると私は思います。

裏を返せば、「表面的な寄り添いのことば」に対し、
悩める人は敏感に察知します。うわべだけの表現というのは、
寄り添いどころか、かえって本人を苦しめることにも
なるのです。

鏑木さんのエッセイから、大切な人にどのように
寄り添えばよいのか、そのヒントを頂きました。


(日本経済新聞2020年11月4日水曜日 夕刊)
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