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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]

2020年9月18日放送分の翻訳・解説を担当いたしました。
タイトルは「中国とインド 国境地域の発砲で非難の応酬」です。

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2009/18.html

どうぞよろしくお願いいたします。


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音楽から思い出すこと [日々の暮らし]

クラシックコンサートの会場で、感動のあまり
涙が止まらなくなったことがあります。
留学中のことです。

その時の私は大学院の課題とプレッシャーと
異文化での生活に疲れていました。唯一の息抜きは
学生料金で楽しめるクラシックコンサート。
寮や図書館での勉強から離れて2時間半ほど、
コンサート会場の席に身をゆだね、音楽を聴くことが
私にとっては大きな慰めでした。

その日、私はロンドンのテムズ川南岸にある
ロイヤル・フェスティバル・ホールで行われた
ロンドン・フィルのコンサートへ向かいました。

曲はブラームスのバイオリン協奏曲。独奏は韓国出身の
女性バイオリニスト、チョン・キョン・ファでした。

この曲は、オーケストラが最初のメロディを奏でてしばらくしてから
バイオリンが合流するのですが、私はもう最初の数小節で
感動のあまり体が固まりました。まだ一音も奏でていない
チョン・キョン・ファの立ち姿から、ものすごいオーラが
出ていたからなのです。鬼気迫るとまでは言いませんが、
それぐらい私の波動を揺るがすものでした。

そしてバイオリンの独奏が始まるや涙が止まらなくなりました。

自分の人生で、後にも先にもあそこまで感動したコンサートは
ありません。

そしてこの日を機に私は音楽療法への関心が高まりました。

人の苦しみを「音楽」は和らげてくれる。
心の中の苦悩や迷いを「音」が癒してくれる。

その理由はなぜか?

同じ曲でも感動する人としない人がいる。
現に私は涙しているのに、隣のイギリス人は
平然と聴いている。なぜ?

このような疑問が私の中に沸き上がったのです。

その後、私は大学院の勉強(当時は社会行政学の
修士課程にいました)も半ば上の空となりつつ、
何とか最終試験を終え、その後、帰国までの日々は
頭の中が「音楽」一色になりました。

留学中に感銘を受けた指揮者マリス・ヤンソンスについて
もっと知りたいと思い、ロンドンのNational Sound Archiveという
音の資料館・公文書館にも連日通いつめました。
ヤンソンスのインタビューをすべて聴いたのです。
また、隣にあった音楽大学では「楽器の出てくる絵画」
について調べるべく、資料館の館長さんに直々に頼み込み、
目録エリアに入れていただきました。
「楽器が出てくる絵画」にも私は感動していたのです。

今、思い返してみても、膨大な音源からインタビューを探し出したり、
部外者立ち入り禁止エリアに入れていただいたりなど、
なぜできたのか、我ながら驚いてしまいます。
若かったということもあるでしょう。と同時に、どうしても
これだけは知りたいという熱い思いがあり、英語での交渉であれ、
絶対に調べたい、知りたいという気持ちが私を
突き動かしたのだと思います。

それぐらい当時の私の頭の中は「音楽や絵画が人にもたらす癒し」に
取りつかれていたのでした。

あれからずいぶん年月が経ちました。ハイドパークの南側に
あったNational Sound Archiveは大英図書館に統合され、
セント・パンクラス駅のモダンな建物に移りました。

1年前の今日、私はヤンソンスの公開リハーサルを観に
アムステルダムへ飛びました。その10か月前の東京公演は
体調不良で来日ができなかったからです。

「考えたくはないけれど、もうヤンソンスの最期は近いのかもしれない。
来日が叶わないなら、私が行くしかない。」

そう思ってコンセルトヘボウの公開リハーサルに申し込んだのでした。

しかし当日。ヤンソンスはやはり体調が思わしくなく、
公開リハに姿を見せませんでした。
遠い日本からアムスまで行ったものの、その姿を見られなかったのは
残念でした。でも、そこで次第に私の心の準備もできていったのです。

深く深く敬愛していたヤンソンスは、昨年11月末に
持病の心臓病で79歳で亡くなりました。

そして、誰もまったく想像すらしていなかったコロナが
蔓延し始めました。今まで「いつでも行ける」と思っていた
大好きなロンドンが、私の人生の中から遠い存在になってしまいました。

まさかこのような事態が発生するとは、誰も
思っていませんでしたよね。今まで当たり前だったこと、
これからもずっと当然そのままあり続けてくれると思っていたこと。

それらが突如、自分の手からこぼれてしまう。

人生にはそういうことが起こりうるのです。

でも、それが現実なのです。過去を悔やんでも未来を嘆いても、
「今」は変わらない。受け入れるしかないのですよね。

そこからどう自分の心を「自分の力で」持っていくか、なのでしょう。

最近まで私は音楽の持つ癒しのチカラを忘れていました。
でもふとしたきっかけで、また思い出しています。

そのことを分かち合いたくて、この文章を書きました。
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