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心を軽くするために「やめたこと」 [日々の暮らし]

昨日まで実母との関係について書いてきました。
あと数回だけお付き合いくださいね。

結局、「母に心を入れ替えてもらいたい、私に向き合ってもらいたい、
私のことを無条件に愛してほしい」という思いを
私は強烈に抱きながら年月だけが過ぎていきました。

その間に仕事面では幸いなことに目指す方向に進むことができ、
充実した日々を送ることができました。

でも、母との問題だけはなかなか進展しなかったのです。

「私さえがんばれば」というメンタリティの頃の私は、
仕事面こそ満たされていましたが、それ以外はかなり
枯渇状態でした。

親からの愛情が「私の基準」では満たされていませんでしたので、
そこで「私さえがんばれば」という方法をとったとしても、
限界がありました。いわば「ガソリンタンクが空なのに、
目いっぱい進もうとしている車」のような感じだったのですね。

思うに、人間というのは「自分自身の精神状態が満たされて初めて、
他者にも優しくできる」のだと思います。
言い換えれば、たとえ「優しくしてあげた他者」に
想定外の反応をされてしまったとしても、
自分の心が安定していれば、それに振り回されることなく
落ち込むこともなく、生きていけると思うのです。

「頑張っていたころの私」は、そういう状態ではありませんでした。
よって、母との関係だけでなく、それ以外の諸々の場面でも
あっという間に落ち込みやすい状態にあったのです。
これでは心身に良いはずがありません。

状況が変わったのは、ここ数年のことです。

その時の私は「自分なりにやめたこと」が3つありました。

1.自分の心を粗末に扱うことをやめた

→当時の私は周囲の一挙手一投足に敏感でした。
母以外の人に関してもそうでした。
相手が不機嫌だと、何としてでも上機嫌になってもらいたいと焦り、
ご機嫌をとったり、楽しいことを紹介したり体験させてあげたりと
アクションをとっていたのです。

でも、それでも相手が変わらないのであれば、
もうそれは私の問題ではなくその人自身の問題です。
一生懸命こちらがやってさしあげても、私自身がズタボロに
なってしまうのであれば、それは自分の心を粗末に
していることになります。これをやめようと思ったのですね。

2.自分の健康をいい加減に扱うことをやめた

→私には極端な性格があり、それこそマラソンに魅了されて
いたころは、関節痛になるまで走り込むほどでした。
「ジムに行くことも体力づくりの仕事のうち」と信奉して、
毎日のように通ったこともあります。体が疲れているのに
「凝り固まった筋肉をほぐすのがレッスンが一番」と
思ってはせっせと通っていたのです。そのころは体もボロボロでした。

一方、ストレスのあまりスナック菓子をいったん手にすると
止まらなくなる悪習慣もありました。「ジムに行ったのだから
これくらい良いよね?」と理不尽な自己正当化をしていました。
これでは本末転倒です。これをやめようと思ったのです。

3.仕事の安請け合いをやめた

→フリーランスで仕事をしていると「仕事を断ると
二度と来なくなるのでは?」という恐怖心があります。
それこそ「この業界で干されたら生きていけない」というぐらいの
恐ろしさです。よって、以前の私は「来た仕事は
全て受ける」という感覚で請け負っていました。
「お声がかかるのはありがたい。持ち出しになっても良いから
まずはお受けしよう」と赤字覚悟で受けたこともあります。

しかし、嫌々引き受けたときというのは、そもそもの
モチベーションが無いわけですので、エンジンもかかりません。
想像以上に時間がかかったり、完成品も自分では納得の
行かないものになったりしてしまいます。
そんな心境でお受けしたのに、有償の業務であれば
報酬を頂いてしまうことへの罪悪感も出てきてしまいます。
一方、ボランティアベースで嫌々取り組んだ場合、
「お金と時間を損した」というマインドになります。
いずれにせよ、後味が何とも悪いのですよね。
よって、そんな結果になるぐらいなら、丁寧にお断り
する方が良いと考えたのです。

以上の3つのことをやめました。

これでだいぶ心身の調子が上向くようになっていったのです。
要は「自分を大切にすること」だったのだと思います。
その時点ですでに歳は重ねてきていましたので、
遅まきながらの「気づき」でした。

(明日に続く)
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