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なきゃあとでめんどくさい [日々の暮らし]

とある企画でお勧め本を紹介する機会がありました。
私がこれまで影響を受けた本はたくさんあるのですが、
そのうちの一つにヒルティの「幸福論」があります。
岩波文庫から出ており、初版は確か1950年代です。

古典と言われる本は時代を生き延びてきただけあります。
最近の自己啓発本に書かれていることのほとんどが
こうした古典に出ているのですよね。
人間に与えられた「一生」という時間には限りが
あるからこそ、名著に親しみたいと思います。

ヒルティの「幸福論」には生き方や日々の具体的な
過ごし方などが書かれています。そこで度々出てくるのが、
「とにかく今すぐ着手する」というメッセージです。
やらねばいけないことをあれこれ考えあぐねて結局
やらずじまいになるぐらいなら、
サッサと取り組むべしということなのですね。

最近私には「手ゴワイ言葉」があります。
自分の行動を制限してしまい、先延ばしにさせてしまうような
言葉です。これらをできる限り排除しないと
前に進めないなあと思っています。具体的には、

「~しなきゃ」
「あとで」
「めんどくさい」

この3つです。

「○○しなきゃ」というのは、結局そう思いつつも
つい「あとで」になってしまい、さらに時間の
経過と共に「めんどくさい」と化してしまうのですね。
そして手つかずとなり、ますます腰が重くなってしまう
という悪循環になるわけです。

「なきゃあとでめんどくさい」こそ、私にとっては
苦しみの根源です。だからこそ、こうした言葉が
少しでも浮上したら、あまり考えず、むしろ
その場で着手したいと考えています。
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ふた、取る?取らない? [日々の暮らし]

ときどき無性に食べたくなるのが厚切りトーストです。
元々パンは大好きなのですが、あの喫茶店で
出るような厚切りトーストというのは
なかなか家では作れません。出先で急に思い立ち、
厚切りトーストを探し求めたこともあります。
そのような時に限って見つからないのですが・・・。

お店でトーストを頼むと、バターが別添えで
出てくることもあれば、元から塗られて出されることも
あります。個人的には後者が好きですね。
バターがパンになじみ、実においしいからです。

そのバターですが、ミニバターの場合、ふたを
取るか取らないかで迷うことがあります。
プラスチックで容量は6グラムほど。上に
ふたが付いているタイプです。

ふたと言えば、カップのアイスクリームも同様です。
他にもヨーグルトに付いていますが、あのふたを
取った方が良いのか、いつも考えてしまうのです。

マナー関連のサイトにあるかしらと探したのですが
今一つヒットしません。「アイスやヨーグルトの蓋の裏を
舐めるか否か」というお尋ねは結構あるのですが・・・。

他にもふたが付いている物としては、カップラーメン
などもありますよね。
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サブレ、クッキー、ビスケット [英語]

先日のこと。お土産にサブレを頂きました。
そのお店のサブレはしっとり系です。辞書でサブレを引くと
「さくさくした口当たりのクッキー」とありますが、
ことこのサブレに関しては「生(なま)」の質感が
PRポイントのようです。おいしく頂きました。

ところでクッキーの類にはビスケット、サブレ、
ショートブレッド、ビスコッティなど色々とありますよね。

crackerは堅めで塩味。
英和辞典では「イギリス英語ではbiscuit」と出ています。

biscuitは「リーダーズ英和辞典」の語義に「ビスケット、
クラッカー、クッキー」とあります。いずれも
たねを膨らませずに焼いたものです。ただし、
ベーキングパウダーなどでたねを膨らませたタイプは
イギリスで言うところのスコーンと同じ。何だかややこしく
なってきましたね。

cookieは「クッキー」で、こちらもイギリス英語だとbiscuitに相当。
ただし、スコットランドでcookieと言うと、菓子パンになります。

sablé(サブレ)はフランスの街の名前から来ています。

biscottiはイタリアのクッキー。縦長で堅く、ナッツなどが
入っていますよね。イタリアではcantucciniと言うそうです。
なお、biscottiは複数形。単数形はbiscottoです。

shortbreadはスコットランドが発祥地。ショートは
shorteningから来ています。

ちなみに「ショートケーキ」は日本でならイチゴと
生クリームがたっぷり載ったケーキを思い起こしますよね。
アメリカでのshortcakeは日本と同じ。一方、イギリスで
shortcakeと言えば、shortbreadの一種となります。

うーん、お腹は空くは話はややこしいわ・・・。
でもこうした単語も一つ一つ調べて画像検索をかけると
なかなか楽しいものです。
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ライトのスイッチから感じること [日々の暮らし]

一日の中で何かしらテーマを自分で決めて注目しようと
思います。たとえば、「今日は椅子に注目」「明日は
ドアの取っ手」という具合です。別に厳格な
ルール作りをしているわけではありません。
ただ、一つトピックを決めることで、普段なら
見過ごしてしまうものを敢えて視界に入れ、
自分の理解を深めたいと思うのですね。

先日のテーマは「ライトのスイッチ」。
部屋の電気をつける際にも、色々な形の
スイッチがあることに気づかされます。私が子どもの頃は
黒いつまみを下から上に上げると点灯しました。
数年前まで暮らしていたマンションのスイッチは
左から右へ押すとスイッチオン。もっとも、
このスイッチは指一本分ぐらいのサイズでしたね。

一方、現在のマンションはスイッチも大きくなっています。
左から右という方向は同じですが、指を横向きにすると
ちょうど5本分ぐらいの高さになります。
グーグルの画像検索で調べてみると、色々な種類が
あることもわかります。

ちなみにイギリスのスイッチは「上下」運動、
昔の日本のと同じです。日本ではいつごろから左右になったのか、
なぜスイッチが大きくなったのか、個人的には関心があります。
左右になった理由はわかりませんが、
大きさがビッグサイズになったのは、おそらく
少ない力で付けられるようにするためだと考えられます。
ユニバーサルデザインを意識しているのではないでしょうか。
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濁点ほしい・・・ [日々の暮らし]

かつてイギリスに暮らしていた1990年代後半のこと。
日本の公職選挙法が改正され、2000年には海外でも
在外選挙ができるようになりました。ロンドンの
大使館へ赴き、地元の選挙に参加できたのは
嬉しかったですね。かつて暮らしていたオランダ・イギリスでの
幼少期時代には、たとえ選挙があっても私の両親は投票できなかったのです。

日帰りで過日訪ねた新潟市で私は県政記念館に立ち寄りました。
展示物の中に選挙に関する年表もありました。
それを読むと、いかに多くの人たちの多大な努力により
今の制度に至ったかがわかります。昔の日本では
お金のある男子しか投票することができませんでした。
「満25歳以上の全ての男子」が選挙に参加できるようになったのは
大正14年(1925年)のことです。そして女子が投票権を初めて行使したのは、
戦後1946年のことでした。それが今では18歳から投票が
認められているのですから、本当に大きく変遷してきたと思います。

ところで選挙と言えば、来る10月22日の選挙当日に
投票へ行けないため、先日不在者投票をしてきました。
その時、投票用紙を渡される机のところに「公布係」の
表示があったのですが、よく見ると読み仮名が
「こうふかかり」とあります。あれ?「こうふ『が』かり」なのでは?

・・・ことばを生業としていると、どうしてもこうした小さな部分が
気になってしまいます。ちなみに以前街中で見かけた
児童向けの連れ去り防止のポスターに、
何かあったら「大声を出しましょう」という類の記述がありました。
その読み仮名も「おお『こ』え」でした。「ご」の濁点を付けたい衝動に駆られます。

ついでに表記に関してもう一つ。先日食べた某加工鶏肉の包装が
salad chikenとなっていました。・・・「治験」ではないのですが・・・。
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掲載誌のお知らせ [各種連載]


NHKテレビ&ラジオNHKニュースで英会話 2017年11月号 [雑誌] (NHKテキスト)

NHKテレビ&ラジオNHKニュースで英会話 2017年11月号 [雑誌] (NHKテキスト)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 雑誌



掲載のお知らせ
「NHKニュースで英会話」2017年11月号が
発売になりました。今月号では私のエッセイがp122に
掲載されております。ご興味がありましたら
ご一読いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!
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小泉信三「読書論」より(その4) [日々の暮らし]

小泉信三は25歳から29歳までヨーロッパで学んだそうです。
時代は第一次世界大戦の最中。ケンブリッジで春学期の勉強を終えて
ロンドンに出向き、大英博物館内の図書館に日参し、
読書をしたと記しています。今のBritish Libraryは
キングス・クロスに移転していますが、昔は大英博物館内の
ドームの下が図書館だったのですよね。ちなみに現在、
そのドームの真下はカフェやギャラリー、ショップなどに
なっています。

当時はのどかな時代でしたので、その日のうちに本を
読み終えることができなければ、そのまま机の上に置いた状態で
退館できたそうです。小泉はそうして「資本論」という大著を
読み終えています。

「とにかく私は大英博物館の所蔵本を借りだして毎日読んだ。
それを当時どの位まで理解し得たかは疑問であるが、
ともかくも怠らず読んだ。」(p152)と綴っています。

ところで小泉はロンドン滞在中、市内中心部のRussell Squareから
少し北に行ったTavistock Squareの下宿で暮らしていたそうです。
昔、この界隈は裕福な商人の家があったそうで、それは
サッカレーの「虚栄の市」に出ていると小泉は記しています。
しかし、小泉が暮らしていた1910年代は「怪しげな女たちの
住む一地区となり、その辺に住んでいると、人に吹聴できるような
場所ではなかったらしい」(p150)とも記しています。私が
大学院時代に暮らしていた寮はまさにこの地域にあったのですが、
今から100年ほど前に小泉たち日本人留学生がここで
暮らしていたのだと思うと、感慨深いものがありますね。

小泉はロンドンの日々の暮らしについても記述しています。
朝食後は歩いて大英博物館へ。読書室でお昼まで本を読み、
下宿に帰り、昼食をとってからまた大英博物館で読書。
閉館時間まで過ごしたとあります。一方、夜になると夏の間は
Langham Placeに当時あったQueen's Hallまで行き、
指揮者ヘンリー・ウッドのプロムナード・コンサートに
出かけたことも記しています。これは今の夏の風物詩、プロムスの
前身です。Queen's Hallは第2次世界大戦中の1941年5月、
ロンドン大空襲で爆撃され、破壊しました。今、同じ場所には
St. George's Hotelが建っています。ご興味のある方は
こちらをどうぞ:

http://www.westendatwar.org.uk/page_id__111_path__0p2p.aspx
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小泉信三「読書論」より(その3) [日々の暮らし]

理想的な読書環境として、小泉氏は「大きな机」と
「大きな部屋」を挙げています。部屋が大きければ、
読書の途中で考え事をしつつ、歩き回ることによって
思考を深められるからというのがその理由です。

一方、机に関しては次のように記しています:

「真に一物を留めぬ机、しかも相当に大きな机に
向かうことは、不思議に心を落ちつかせるものである。
町の物音のしない朝の間の書斎で、塵を払った机に向かえば、
文字の意味は吸い込むように胸に入り、
筆を執れば、いくらでも思想が湧いてくるような
気のするときがある。」(p114)

私も大学図書館内の研究個室をよく利用します。
その机は大きいのですが、私の場合、必要なもの以外は一切置かず、
インターネットとの接続も断って読書をすることが
あります。雑念を払いながら読書に集中できるので助かっています。

一方、小泉氏は、何か思いついたら横着せず、すぐにメモを取ることも
大切だと書いています。「あとで」としてしまうと、
あっという間に忘れてしまいますので、メモ用紙と筆記用具は
必須です。

こうしたヒントも今の時代、大いに参考になります。
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コラム更新のお知らせ [各種連載]

「通訳者のひよこたちへ」第327回がアップされました。
『やりたくないことから』というタイトルです。
書籍紹介では、「廃墟遺産 ARCHIFLOP」(アレッサンドロ・ピアモンティ著、
高沢亜砂代訳、エクスナレッジ、2017年)を取り上げております。
どうぞよろしくお願いいたします!

http://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/327.html

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小泉信三「読書論」より(その2) [英語]

「読書論」には読書についてだけでなく、学びそのものに
関する記述もありました。中でも「語学力について」(第三章)が
興味深かったですね。

「言語の味わいは微妙であるから、或る国語を、
他国人がその本国人通り完全に味解し得ないとしても、
その或る部分はその人の罪ではない。」(p40)

たとえ頑張ったとしても、母語でない以上、
他言語を完璧に理解するには限界があります。
理解できなくても、その人の罪ではないというのが興味深いですね。

「要するに私の結論は、外国語は決して恐れてはならぬ。
しかし侮ってはならぬ。深く入るには余程の勉強を要する
という、平凡なことに外ならぬ。」(p40)

最小限の努力で最大限の効果など期待できませんので、
やはり地道に勉強せよ、ということになります。

小泉氏は語学の習得法の一つとして、筆写を勧めています。
ドイツ語の学習において「自分の好きな文章を、
一節なり一章なり、根気よく何度もくり返し筆写」(p40)
したおかげで効果があったと述べています。
また、音読も推奨しています。

こと語学の勉強に関しては、真新しい方法を探したり、「もっと
良いやり方があるはず」など夢見たりせず、
地道に当たり前のことをコツコツやることが、
結局は最大の時短となり、最大の効果を生み出すのでしょう。
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