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便利さが不便になったときどうする? [日々の暮らし]

先日のこと。訪問先の駐車場に車を止めました。
個人のお宅で、そこには電動の駐車場用シャッターがあります。
車から降りてシャッターを閉めたときのこと。
何やら調子が悪く、異様な音をたてていました。
そしてシャッターが閉まったまま動かなくなってしまったのです。

さあ困りました。手動のシャッターと違い、にっちもさっちも
動きません。上に引き上げようとしても頑として
微動だにしないのです。

早速シャッター会社に連絡をとったところ、
1時間ほどたってから修理の方が駆けつけて下さいました。
経年劣化による故障だそうです。幸い修理していただいたおかげで
シャッターの扉が上がり、車を出すことができたのでした。

電動シャッターというのはとても便利です。
車に乗ったまま開閉ができますので、雨天時や
道路が混みあっている時なども、ボタン一つで作動できます。

けれども今回のように、開くべきはずのものが開かなくなった
となると大変です。閉まらない方がまだベターです。
なぜなら、車は出し入れできるからです。けれども
閉じ込められてしまったとなると、もはや車を
出すことができなくなります。今回は三連休にも関わらず
迅速に直していただけましたが、もしすぐに来ていただけなかったら
と思うと不安が募ります。

たとえばもし家族で急病人が出て、いざ車で病院へ
というときにシャッターが開かなかったらどうなるでしょうか?
あるいは、これがたとえばアメリカの先日のハリケーンなどの際、
車で脱出しようとしたらシャッターが開かないとなると
命にも関わってきます。

私は2011年の大震災時に携帯電話の電池が切れてしまい、
以後「人工的に作られたもの」を過信しなくなりました。
もちろん、今の時代は優れた技術が出ていますので、
過敏になりすぎることもないのでしょう。けれども
万が一を考えると、やはりオーソドックスな手動のものこそ、
いざというときには大いに頼れるように思うのです。

便利さが不便になったときどうするか。

そのシナリオも日常生活の中で考えるべきと
思わされた出来事でした。
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