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作業と学習の境目 [仕事]

通訳者にとって、仕事が依頼されてから通訳業務の当日までは
ひたすら「予習の日々」です。事前に渡された資料に
目を通すことはもちろん、自分で文献を探して読みこんだり、
動画サイトで話者の以前の講演を視聴したりと
あらゆることをして準備に勤しみます。

私の場合、予習をすればするほど、自分の知識不足を
痛感してしまいます。それこそ、どこまで予習をすべきか
見えなくなってしまうのです。そしていつもの
パターンとしては、結局のところ時間不足に陥り、
当日ドキドキしながら通訳ブースへ。
冷や汗をかきながら通訳をする、という状況です。

要は、事前学習に正解も終わりない、ということなのですね。
だからこそ緊張してしまうのです。これは放送通訳の
現場でも同様です。

ただ、これまでの仕事から得た私自身の教訓として、
予習における「作業」と「学習」を混同してはいけない
と感じています。具体的に見てみましょう。

たとえば、予習の段階でおこなうべきことの一例としては
文献をそろえる、動画でスピーチを探す、
単語リストを作る、予習ノートを作るなどなどがあります。
こうしたことを同時進行で当日までに
準備せねばなりません。まずは「やるべきこと」を書き出し、
ひとつひとつ取り組むことが求められます。

ここで注意せねばならないのが、このような「やるべき課題」を
「書き出していること」そのものや、文献を「そろえている」という
行為、あるいは動画でスピーチを一通り「探し出している」状態
などを「学習時間」と混同してはいけないということなのです。

こうした「事前セッティング」には案外たくさんの時間を
要します。しかもそろえたり探し出したりというのは、
自分にとって成果が見える作業でもありますので、
それだけで充実感を抱いてしまいがちになるのですね。
「わあ、ここにも動画があった!」「あ、この文献も使えそう」
という具合に、次々と宝探しのごとく出てくると、
安堵感と共に達成感で心が満たされるのです。

けれども、そうした「作業」自体は、自分の知識への充填に
結びつくとは限りません。大切なのは、そのようにして
集めた事々をしっかりと吸収して自分のものにしなければ
いけないことなのです。

単語リスト作成も同様です。私など、新しい分野の通訳業務の際、
膨大な数の単語を毎回書き出します。けれども大事なのは、
書き出して暗記することであり、通訳内容そのものと
しっかり結びつけて活用できることなのですよね。
書き出す行為そのもの「だけ」で安心してはいけないと
自戒の念をこめて、今この文章を書いています。

作業と学習の境目というのは、意外と見誤りやすいものです。
だからこそ、冷静に意識しながら学び続けねばと
感じます。
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