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基準や価値観はむずかしい [日々の暮らし]

通訳者のアウトプットをどう評価するか。
これは永遠の課題だと私は感じています。
すべての単語をもれなく拾い、きちんと目的言語に
訳出するというのも一つの考えです。
通訳者が勝手に取捨選択してしまえば、それは
通訳ではなく「編集」になりかねません。
あるいは自分の一方的解釈を追加した場合、
それは「創作」にもなり得るのです。
聞き手の理解を第一に考えれば考えるほど、
どこまで訳すかという悩みが付随することになります。

○×式テストのように、「こう訳せば正解」「これは不正解」
という基準ができるタイプの仕事であれば、
ここまで迷うことはないのでしょう。けれども、
そうはいかないのが異文化間コミュニケーションである
「通訳」なのです。

もっとも、この悩みは通訳やコミュニケーションに限ったことではありません。
人間個々が抱く価値観についても同様です。
Aさんにとって良しとされる価値基準も、Bさんから見れば
受け入れられないということもあり得ます。
「まあ、そこまで気にしなくても」と自分が思えるようなことも、
他者から見れば「とんでもない」と解釈されることも
あるわけです。

そのギャップをどう埋めるかは、即答できるものでないかも
しれません。ではどう対処するか?具体的な方法および
考えられる展開としては以下がありうると私は感じています。

(1)とことん自分の価値観を相手に主張する。受け入れてもらえなくても
妥協してもらえるまで徹底的に唱える。

→うまく妥協点が見いだせれば、多少の進歩にはつながる。
ただし、大きな対立あるいは亀裂になる恐れあり。

(2)「受け入れてもらえない」と最初から諦め、相手への説得はしない。
ただし自分のペースはひそかに維持する。

→対立を避けることはできるが、現状の変化は生じないため解決は難しい。
ただ、自分の信念は曲げずにいられる。

(3)最初から相手の価値観を全面的に受け入れる。

→対立回避は可能。ただし、自分のポリシーは放棄することになる。

結局、この中でどれがその時点の自分にとって
受け入れやすい状況であるか。それを見極めることに
なるのでしょうね。

いずれにせよ基準や価値観というのは、なかなか
難しいものです。だからこそ、人は悩みというものと
一生付き合っていくのだろうなあと思います。
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