年号がわからないとき、どうする? [日々の暮らし]
中学2年生の2学期から日本の中学校に編入した私を
待ち構えていたのは、「ムズカシイ歴史の授業」でした。
その時の社会のカリキュラムは日本史。
古代史も安土桃山時代も江戸時代も全く学習経験がないまま、
いきなり「徳川家康」の章から入りました。
私にとっては「トクガワ? Who?」という感じでしたね。
以来、「言い訳にしてはいけない」とわかりつつも、
私にとって日本史は未だに未知の分野です。
いえ、ポジティブにとらえるならば、「これから
勉強できるまたとないチャンスを得た」ということかも
しれません。
このような具合ですので、私の中では日本の年号の順番が
今なおアヤシイ状態です。家族で歴史の話をしているときなど、
私の時代解釈があまりにも妙な方向に行ってしまい、
「お母さんがどこまでトンチンカンに解釈するか
見てみよう」と言われるほどです。ハイ、勉強不足ですよね。
それでも歴史自体は好きですので、
記念館や博物館・美術館には足を運びます。
都内を歩いているときも、名所旧跡を記した
小さな看板を見かけると、立ち止まって眺めます。
私は音楽や美術なども好きなのですが、
鑑賞の際は当時の為政者が誰だったのか、社会は
どのような様子だったのか、その頃の日本はどういう時代だったか
など、色々な観点からとらえるのを楽しみにしています。
ちなみに名所旧跡案内板や美術展の解説など、
そのまま日本語で読んでも「○○時代」とあって
理解しづらいことが私の場合はあります。ですので、
その際は英文説明を頼りにしています。頭の中で
その説明文を音読すれば、英語の勉強にもなりますし、
何よりも年号を西暦で記してくれているのでありがたい限りです。
このような具合で、「英語を勉強していて良かった」
と思える瞬間が、日常生活でもあります。
ありがたいなあと感じます。
待ち構えていたのは、「ムズカシイ歴史の授業」でした。
その時の社会のカリキュラムは日本史。
古代史も安土桃山時代も江戸時代も全く学習経験がないまま、
いきなり「徳川家康」の章から入りました。
私にとっては「トクガワ? Who?」という感じでしたね。
以来、「言い訳にしてはいけない」とわかりつつも、
私にとって日本史は未だに未知の分野です。
いえ、ポジティブにとらえるならば、「これから
勉強できるまたとないチャンスを得た」ということかも
しれません。
このような具合ですので、私の中では日本の年号の順番が
今なおアヤシイ状態です。家族で歴史の話をしているときなど、
私の時代解釈があまりにも妙な方向に行ってしまい、
「お母さんがどこまでトンチンカンに解釈するか
見てみよう」と言われるほどです。ハイ、勉強不足ですよね。
それでも歴史自体は好きですので、
記念館や博物館・美術館には足を運びます。
都内を歩いているときも、名所旧跡を記した
小さな看板を見かけると、立ち止まって眺めます。
私は音楽や美術なども好きなのですが、
鑑賞の際は当時の為政者が誰だったのか、社会は
どのような様子だったのか、その頃の日本はどういう時代だったか
など、色々な観点からとらえるのを楽しみにしています。
ちなみに名所旧跡案内板や美術展の解説など、
そのまま日本語で読んでも「○○時代」とあって
理解しづらいことが私の場合はあります。ですので、
その際は英文説明を頼りにしています。頭の中で
その説明文を音読すれば、英語の勉強にもなりますし、
何よりも年号を西暦で記してくれているのでありがたい限りです。
このような具合で、「英語を勉強していて良かった」
と思える瞬間が、日常生活でもあります。
ありがたいなあと感じます。
2017-09-13 00:00
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