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知ったかぶり [日々の暮らし]

私は父がクラシック音楽ファンだったこともあり、
幼いころから自宅では音楽が流れていました。
初めて本格的なコンサートに連れて行かれたのは
小学校4年生のときです。以来、クラシックの音色に
魅せられて今に至っています。

10代後半のころ、友人たちと音楽談義をしたことが
ありました。クラシックが好きな仲間たちです。
とある弦楽器のCDを聞きながら話していたのですが、
いずれも皆クラシックが大好きとだけあり、
大いに盛り上がりましたね。詳しい人は本当によく
知っていて、「演奏家の○○は、第2楽章の△△小節で
こういう弾き方をする」「この曲は、薬指の
指使いをこうすると、音に深みが出る」という具合に、
かなりマニアックになっていました。私も
音楽好きではありましたが、本格的なトークに
なっており殆どついていけません。もっぱら「へえ、そうなんだ~」と
のんきに反応していました。別の友人はひたすらニコニコしながら
聞き役に徹していました。日ごろからおとなしいタイプの
人でした。

別の日のこと。
たまたま同じグループで出かけた際、
BGMに珍しい音楽がかかっていました。クラシックでは
あるのですが、あまり聞いたことがない曲です。
日ごろから薀蓄を披露している友人たちも曲名を知らない様子。
「これって誰の曲だろう?」と疑問に思っていたところ、
過日、聞き役に徹していたおとなしい友人が、静かな声で
「たぶん○○の△△って曲だと思うよ」と述べたのでした。

確かにその通りでした。

日ごろから静かで、めったに自分の知識をご開陳しない友人で
あっただけに、そのインパクトは大きいものでした。
以来、「若手評論家」を自認する仲間たちからはも
尊敬を集めるようになったのです。

人間というのは、自分が知り得たことを人に喋りたく
なってしまう生き物だと思います。特に若いころというのは、
人から注目を集めたい、「すごい~」と言われてみたい
という思いもあるのでしょう。にわか評論家のように
ムズカシイ用語を並べて知識披露をすることがあります。
ついつい「知ったかぶり」になってしまうのでしょうね。

けれども、「能ある鷹は爪を隠す」という通り、
本当に物事を深く理解している人というのは、
目立とうとしません。人に崇められることを
目的に知識を得るのではなく、もっと純粋な気持ちで
教養を身につけようとしているのでしょう。

若いときに出会った、あのおとなしい友人の存在は
今も私の心の中で印象に残っています。
そのことを思い出すたびに、学びにおける謙虚さと
控えめさがいかに大切か、襟を正したくなるのです。
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