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NHK「ニュースで英語術」掲載のお知らせ [掲載]


以下の放送分の翻訳と解説を担当いたしました。

2021年9月2日「民泊サイト大手 アフガン難民に住居提供」

https://www.nhk.or.jp/gogaku/news/2109/02.html

どうぞよろしくお願いいたします。
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【追悼】遠山豊子先生 [英語]

日ごろ私が指導している通訳スクールよりメールが届き、
同校顧問を務められた通訳者の遠山豊子先生がお亡くなりに
なられたことを知りました。

遠山先生との思い出はたくさんあります。

かつて同スクールで受講生として学んでいたころのこと。
何とか頑張って同時通訳科に進級したのですが、
周囲は優秀な方々ばかり。当時は二人一組で先生が
教鞭をとっておられ、確か週2回のクラスだったと
記憶しています。

あの時代の「学校」というのは、義務教育であれ外部スクールであれ
今とは全く違う指導方法がとられていました。
スパルタ的な厳しい授業だったのです。
今でこそ「褒めて伸ばす」が称えられていますが、
当時はめったなことでは褒められないばかりか、
人格否定も当たり前でした。でも、当時は「そういうもの」
だったのですね。時代の流れとともに人の価値観は
変わってくるのです。

私が在籍したそのクラス。
遠山先生ももう一人の先生も厳しかったのですが、
私自身は「通訳になりたい」という強い思いがありました。
ですので、厳しさはさほど気にならなかったのですね。

特に遠山先生はユーモアを交えた叱咤激励が
素晴らしかったのです。私の訳出にかなり
辛辣なコメントを仰っても、ついクスリと笑いたく
なるような言葉が添えられていました。
「ん?ここで私、笑って良いのかな?でも
先生は本気で注意してくださってるし」
という場面が何度もあったのですね。

一方、スクール・ライブラリーから先生の講演会の
カセットテープ(←時代ですねえ)を借りたこともあります。
通訳者になるための心得についてでした。
その中で、通訳現場にどのような装いで行くかについて
先生は以下のように述べておられたのです:

「通訳現場には全財産の宝石をジャラジャラと
身につけて行かないこと!」

先生の言い回しがとにかくおかしくて、一人
カセットデッキの前で大爆笑してしまいました。

その後90年代に私はロンドンのBBCで働いていたのですが、
偶然にも先生がバース大学の短期集中講座で講師を
務められており、久しぶりにお目にかかることが
できました。すっかりご無沙汰していたにも関わらず、
覚えていてくださり、感激したことを懐かしく思い出しています。

多くの受講生から慕われた先生でした。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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オオカミ少年 [日々の暮らし]


数年前にオランダを一人旅した際、感心したことが
あります。それはピクトグラムの多さでした。
ピクトグラムはオリンピックでも有名になりましたよね。
文字ではなく、絵でメッセージを伝える手法です。
日本でも非常口やお手洗いのサインなど、街中には
色々と掲示されています。私は以前「ピクトさんの本」という
一冊を読んで以来、ピクトに魅了され、現在に至っています。

オランダは街中を歩いていても彫刻がたくさんあり、
ビルのデザインも斬新です。国全体がミュージアムのような
印象があります。移民も多いため、ピクトグラムや
インフォグラフィックスが共通言語になっているのでしょう。
私は幼少期にオランダに住んでいたものの、オランダ語は
まったくわかりません。英語同様、インドヨーロッパ語族なの
ですが、英語とフランス語・ドイツ語の方が共通単語が
多いというのが個人的な印象です。

ですので、ことばが分からない私にとり、図解表示は
旅行者として大いに助かったのでした。

翻って日本の街中は文章がとても多い気がします。
私が子どもの頃は「危険 入るな」「手を洗うこと」
という具合に、命令口調や体言止めのような看板が
たくさんありました。しかし最近は「きれいに使ってくださって
ありがとうございます」「脇見チューイ」(ネズミのイラスト付き)など
文章が丁寧・長文と化したり、ゆるキャラに「言いづらいこと」を
言ってもらって注意喚起したりするスタイルが見受けられます。

電車内やホームを見渡してみても「ひらくドアにごちゅういください」
「ホームドアに手を引き込まれないようご注意ください」など、
オールひらがなや文字数多数の文章だらけです。
英語版も"Please do not ..."と長い!
日ごろ「ことば」を仕事にしている私にとって、視覚から
入って来る情報量の多さは、ややもするとめまいがしそうです。

スポーツクラブやお店も同様で、あちこちに注意書きが貼られて
います。全部読もうとしたら時間がいくらあっても足りない。
だから多くの人にとってこうした注意喚起メッセージは
「風景の一部」と化し、響かなくなってしまうと思うのです。

こうした状況を私は「オオカミ少年効果」と勝手に名付けています。
童話に「オオカミ少年」がありますよね。あのお話同様、
何度も言っていると、聞かされる方は次第にマヒしてしまい、
真に受けなくなってしまうのです。

緊急事態宣言が出て以来、連日近所からは防災無線で
コロナ関連のメッセージが流れてきます。でもこれも
オオカミ少年のごとく、真剣に聞かなくなっている自分がいます。

本気でコロナ克服を願うなら、
真剣に車内や施設・店舗でのマナーを望むのなら、

注意喚起メッセージの文面や分量、掲示の頻度を
見直すべき時期に今、差し掛かっていると私は考えています。
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