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芸術、スポーツ、教養のこと [日々の暮らし]

昨年12月21日の日経新聞夕刊。トップニュースは
「『起業って?』授業で体感」でした。
中学や高校で、未来のアントレプレナーに向けた教育が行われている
という話題です。生徒自身が事業計画を考えたり、
資金集め、運営などを実践することでビジネスを学ぶのだそうです。
私が過ごしたかつての時代とは異なることをしみじみ感じます。

まだ頭が柔軟なうちに、こうしたシミュレーションをするのは
とても有意義でしょう。いずれ社会に出た際、そうした
授業経験を生かすこともできるはずです。
昔のような、「大学を出てそのまま大手企業に就職するのが
花形」という時代ではもはやなくなりました。
自分たちで考え、行動できることが生きていく上では求められています。

時代が変われば価値観は変わります。そのことは
否定できません。おそらく私の世代を親世代が見れば、
色々と言いたいこともあったでしょう。私の親世代は
文学作品や哲学などの本をたくさん読むことが重視された
人たちです。現に私が子どもの頃、両親は毎月配本される
文学全集や歴史書を購入していました。我が家が特殊だったのでは
ありません。近所の家に行くと、やはり同じ出版社の
シリーズが並んでいました。完読するしないは別として、
そういった「教養」を身近に置くこと自体が大事にされていた、
そんな時代だったのでしょう。

指揮者マリス・ヤンソンスはラトビアから13歳の時に
旧ソ連のレニングラードに移っています。父君の
アルヴィド・ヤンソンスがレニングラードで指揮者の仕事を
始めたからでした。

当時はスターリンの独裁主義時代。言論も統制され、
窮屈な時代でした。出入国も制限されています。
そうした中、ソ連が世界に示していたのは、
こうした社会主義支配下でも国民は優秀なのだということでした。

当時の芸術教育から素晴らしい芸術家が生まれ、
スポーツ教育からはメダルをどんどん獲得する選手が
誕生しました。西側のような統治体制でなくても、そうした
人材輩出は可能なのだということを示していたのです。

ヤンソンスもレニングラード音楽院で厳しい指導を受け、
才能をどんどん開花させていきました。当時のことを
振り返り、「そのような教育を受けられたのは
良かった」と述べています。「抑圧的な独裁的政治には
賛成はしないが、芸術を重視する社会の在り方が
素晴らしかった」と言うのです。一方、「現在のロシアは
あまりにも金儲けに走ってしまっている」とも
ヤンソンスは述べていました。

起業家教育。

実社会を生きる上で大事なことではあります。
けれどもそれと同じ分、芸術やスポーツ、教養など、
たとえ「即時的効果」が期待されないようなことであったとしても、
それに対する予算や指導を惜しんではならない。

私はそのように思うのです。
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