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「通訳者のひよこたちへ」更新のお知らせ [掲載]

「通訳者のひよこたちへ」第497回がアップされました。
タイトルは「大切な人の思い出」、書籍紹介は
"Victorian Medicine and Popular Culture"
(Edited by Louise Penner and Tabitha Sparks,
Pickering & Chatto, 2015年)を取り上げています。

https://www.hicareer.jp/inter/hiyoko/21314.html

お時間がございましたらご一読いただければ幸いです。

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頑張りどころ、とは [日々の暮らし]


小学校の校訓や、公共の場所に見られる標語に
「がんばろう」ということばがあります。
もし「単語使用数統計」をとったら、「がんばる」
ということばはおそらく筆頭に来るのではないでしょうか?
それぐらい、日常生活には「がんばる」「がんばろう」が
たくさんあるように思います。

私自身、子どもの頃から「頑張って何かを達成する」
ということが好きでしたので、頑張るという行為自体は
尊いものだと思っています。大変ではあっても、
努力の結果、手の届かなかったものを手に入れられる喜び
というのは、「簡単に機械でできたこと」よりも
大きいからです。

でも、そうした「頑張り体質」も程度問題だと思うのですね。

たとえば気落ちしてしまったとき。

ツライなあ、と思ったとき、「いや、違う。
これは私の頑張りが足りないからだ」と思うことも
できます。もし自分の心の中にその一文が思い浮かび、
頑張ることに向けて一歩を踏み出せ、回復へ向かえたのなら、それは
良いと思います。

でも、一歩も踏み出せない。それどころか本当にしんどい、
という時は、相当心が悲鳴を上げている状態です。
それをごまかしてまで、頑張っても余計辛くなるのです。

もし骨折をした場合、「骨が折れて痛い。歩けない」と
なれば、病院へ行きますよね。「いや、私の頑張りが
足りないからだ。努力すれば治る」とは、どう考えても
ありえません。処置をしていただき、ギプスをして、
松葉杖の生活を続けてリハビリをして治す。それが
回復への最短距離なのです。

心の問題も同じ。

「ツライ」ならば、その辛さを認めて良いのです。
そしてプロの所へ行って良いのです。
話を聞いていただき、必要であればお薬を出して頂く。
それをきちんと飲み、回復へ向けて歩んでいく。
そのプロセスが必要です。

つまり、心の問題で頑張るべきは「自分一人で自力で
頑張って治すこと」ではありません。

医師やカウンセラーの所へ「行くこと」に「頑張る」べきであり、
処方されたお薬を「規則正しく飲むこと」を「頑張る」べきなのです。

骨折や発熱、腹痛などのような症状と同じように
対処してあげて初めて、次につながります。
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