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紙の量 [日々の暮らし]

コロナが深刻になってから感じたことの一つに、新聞のページ数があります。
我が家は今なお紙版の新聞を読んでいるのですが、
明らかにページ数が減っているのです。

日経新聞の朝刊はかつて36ページほどからなっていました。
しかし、日によっては30ページ弱ということもありました。
夕刊も同様で、うすーくなっていたのですね。
しかも、これまで中ほどのページにあった記事が、後ろの方に
移動していたり。新聞社も自宅待機のスタッフがいたり、
印刷所の問題などもあったりということなのでしょう。
とは言え、こうして今なお毎日届けていただけていることに感謝です。

ところで私が子どもの頃というのは、コピー機も今ほど
高性能ではありませんでした。縮小や分割印刷などの機能は
無かったはずです。よって、A4ならA4にそのまま印刷されていました。
裏面はもちろん白紙です。当時は紙への節約意識や環境意識も
低かったこともあると思います。

書店でのカバーも同様でした。こちらが頼まずとも、レジでは
自動的にカバーがかけられます。「カバー、どうなさいますか?」と
問いかけられるようになったのは、環境問題が顕在化してからのことです。

子ども時代に暮らしたイギリスでは、そもそもブックカバーという
発想がなく、皆、むき出しで本を読んでいました。ですので、
カバーそのものが何となくもったいないのと、
カバー自体のアートを味わいたいと思っていた当時の私は書店で、

「カバー結構です」

と伝えていたものでした。もっとも、たいていの場合、「は?」
という怪訝な表情をお店の方はされていたのですが。
「カバーは付けるもの」「自分の本のタイトルを知られるのは恥ずかしい」など、
色々な要因もあったのでしょうね。

紙というのは木からできています。そして有限であるからこそ、
今の環境意識になったわけですよね。では、「データ」というものは今後
どうなるのかなあと勝手に考えています。技術の進歩で
どんどん容量は大きくなっていますが、果たしていつの時代かに、

「データ容量がもったいないから、節約しよう」

などという発想が出るのかしら、とも思ってしまいます。

木とは全く異なる次元ですので、そのようなことはおそらく
無いのでしょう。けれども、今回のコロナが全くの想定外から
蔓延したように、コンピュータや技術の世界でも、思いがけぬ
展開になることも全否定できないのでは、などと空想しています。
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