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寄り添うということ [日々の暮らし]

私が敬愛する佐藤初女先生は、生前、次の言葉を
大切にしておられました。

*「面倒くさい」ということばを使わない

*奉仕はさりげなく、ふりむきもしないで

私は著作を通じてこの2つの言葉に出会い、
以来、自分も実践できるようにと心がけてきました。
まだまだ修行の身です・・・。

「奉仕」というと、どこかに出向いてボランティア活動をする
というイメージが強いですよね。でも私の中における
「奉仕」というのは、人に寄り添うことであったり、
人にかけてさしあげる言葉であったり、という意味合いの方が
強くあります。

随分前、人生で辛い状況に直面した時の事。
大学時代の友人が、

「紺ちゃん(←私の当時のニックネーム)、しっかりね」

と言ってくれました。「頑張って」でもなく、こまごました
センテンスでもなく、ひとこと「しっかりね」だったのです。
あのとき、電話口での彼女の声のトーンも間の取り方も
忘れられません。それぐらい、私にとっては救いの一言でした。

辛いときというのは、本人が一番辛いことを肌でわかって
います。そうした中、うわべだけの慰めというものには
かえって敏感に反応します。

私も経験があるのですが、表面的に同情されたときというのは、
かえってその方に対しての反発心すら抱いてしまうのですね。
もちろん、当人は私を思ってくれて、そういう言動をとったのであり、
悪気はなかったのかもしれません。

でも、悲しみのさなかで打ちひしがれている側にしてみると、
辛く思えてしまうのです。悲しみはむしろ深まり、
相手のデリカシーの無さに失望したりします。
それでも、心を寄せてくださった以上、その方に対して
良識人として、あるいは礼儀として「感謝」しなければならない。
そのジレンマに陥ります。

さらに自分の心の中は、こんな風になります:

「私の心が健やかなときであれば、ここまで
うがった見方はしないのに。せっかく同情してくださっているのに、
心の中でこんな風に思うなんて。自分は何てひねくれた性格だろう。」

苦しみの最中、表面的な同情をされてますます心が落ち込んでしまう。
相手に対してモヤモヤ感を抱いていることや、ただでさえ
大変なのに、こうした件で心を落ち込ませている自分が情けない。

そう感じて、ますます自分を責めてしまうのです。

「人に寄り添う」というのは、

黙って相手を受け入れて支えて寄り添うこと。

相手の涙も発言もすべて丸ごと受け止めること。

つまり、寄り添う側の全人格が現れるのだと思います。

初女先生は、全身全霊で悩める人を受け止めておられました。

先生が亡くなられて数年が経ちました。
生前の先生にお目にかかれる機会を持てたのは幸いでした。
私自身、ことばを生業としているからこそ、
相手に寄り添う際のことばを丁寧に心がけたいと思っています。
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