応援者 [日々の暮らし]
以前、知り合いがこのような話をしてくれました。
その時に携わっていた仕事が思いのほかしんどくて、
その思いを両親に吐露したのだそうです。
慣れない仕事だったこともあり、人間関係の複雑さもあいまり、
通勤も大変だったとのこと。そんな話を家でしたそうです。
ところがご両親は、
「でも○○はこうだから、△△なんじゃない?」
「あなたはそう考えているけれど、××さんは
こうだったのだと思うよ」
「大変よね。でもきっと○○すれば□□になるよ」
という反応だったそうです。ご両親は
自分が話したこと一つ一つに対してとてもポジティブに
とらえて、その思いを言葉にして返してくださったのだそうです。
「せっかく入った会社だしね。しかも親にしてみれば
私のその時の感情というのは一時的に見えたんだろうね。
だから何としてもポジティブな解釈をして、私を
励ましたかったんだと思う。」
そのように言っていました。
私にも経験があります。
どうしても辛くて悩みを打ち明けるも、「でも、○○なんじゃない?」
という反応が返ってきたことがあるのですね。
きっとその時に私のことを何としても励ましたかったのだと
思うのです。それ自体はありがたいことだと思います。
でも、振り返ってみると、当時の私はただ純粋に
「共感してもらいたかった」だけだったのだと思うのですね。
「そうよね、辛いよね。」
「そんな中、よく頑張っているよね。」
という風に言ってもらいたかったことがあるのです。
「大変な中、私は何とか生きている。
だからそれ自体を認めてほしい」という心境だったのですね。
私が敬愛する佐藤初女先生は、悩める人を前にした時、
ただひたすら誠意を持って真正面から聴くということを
なさっていました。コメントもしない。評価もしない。
心を込めて聴くことを心がけておられたそうです。
なぜなら先生は「答えはその人が持っている」と
思っておられたからです。
応援者というのは、その人のありのままの姿を受け入れ、
寄り添うことなのだと思います。
先の友人は、両親に応援者になってもらいたかったのでしょうね。
本来の理想は、自分の家族に応援者になってもらうこと
だと思います。
でも、残念ながらそれが叶わなかったとしても、
世界の中には必ずどこかに応援者がいる、
というのが私の考えです。
他人事にせず、その人に寄り添う。
それが本当の応援者だと思います。
その時に携わっていた仕事が思いのほかしんどくて、
その思いを両親に吐露したのだそうです。
慣れない仕事だったこともあり、人間関係の複雑さもあいまり、
通勤も大変だったとのこと。そんな話を家でしたそうです。
ところがご両親は、
「でも○○はこうだから、△△なんじゃない?」
「あなたはそう考えているけれど、××さんは
こうだったのだと思うよ」
「大変よね。でもきっと○○すれば□□になるよ」
という反応だったそうです。ご両親は
自分が話したこと一つ一つに対してとてもポジティブに
とらえて、その思いを言葉にして返してくださったのだそうです。
「せっかく入った会社だしね。しかも親にしてみれば
私のその時の感情というのは一時的に見えたんだろうね。
だから何としてもポジティブな解釈をして、私を
励ましたかったんだと思う。」
そのように言っていました。
私にも経験があります。
どうしても辛くて悩みを打ち明けるも、「でも、○○なんじゃない?」
という反応が返ってきたことがあるのですね。
きっとその時に私のことを何としても励ましたかったのだと
思うのです。それ自体はありがたいことだと思います。
でも、振り返ってみると、当時の私はただ純粋に
「共感してもらいたかった」だけだったのだと思うのですね。
「そうよね、辛いよね。」
「そんな中、よく頑張っているよね。」
という風に言ってもらいたかったことがあるのです。
「大変な中、私は何とか生きている。
だからそれ自体を認めてほしい」という心境だったのですね。
私が敬愛する佐藤初女先生は、悩める人を前にした時、
ただひたすら誠意を持って真正面から聴くということを
なさっていました。コメントもしない。評価もしない。
心を込めて聴くことを心がけておられたそうです。
なぜなら先生は「答えはその人が持っている」と
思っておられたからです。
応援者というのは、その人のありのままの姿を受け入れ、
寄り添うことなのだと思います。
先の友人は、両親に応援者になってもらいたかったのでしょうね。
本来の理想は、自分の家族に応援者になってもらうこと
だと思います。
でも、残念ながらそれが叶わなかったとしても、
世界の中には必ずどこかに応援者がいる、
というのが私の考えです。
他人事にせず、その人に寄り添う。
それが本当の応援者だと思います。
2020-09-14 00:00
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