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推進力 [日々の暮らし]

日経新聞に連載されているプロトレイルランナー・鏑木毅さんの
コラムは欠かさず読んでいます。6月24日付の本文も
読みごたえがありました。
「夢舞台の中止と喪失感」というタイトルです。
インターハイや高校野球が中止となり、失意の中にいる
高校生たちに思いを寄せる文章から本文は始まっていました。

今回のコロナにより、当たり前だったことが当たり前では
なくなりました。大会の中止もその一つ。
そうした際、大人たち、たとえば監督などは選手に対して
「このくやしさをバネにして」「早く気持ちを切り替えて」
といった言葉を投げかけることが多いようです。

けれども鏑木さんは、そうした声掛けに対して
一歩引いた見方をしています。

「悔しい思いを次の人生の糧にといわれたところで、
その舞台さえ得られない彼らはそう簡単に割り切れるだろうか。」

このように述べています。

実際、鏑木さんも同様の体験を若いころされたそうです。
そして、そんな気楽な言葉をかけた大人に直接反発した
様子が今回のコラムには綴られていました。

しかし、年齢を重ねるにつれて、鏑木さんはこう
思うようになったそうです:

「私の鬱屈した思いとは無関係に時間は流れていたのだと知り、
ずっと引きずっていた自分がばからしくなった。」

「悔しさをそのもととなった事象や人に対してぶつけるのではなく、
悔しいという気持ちだけを忘れずに持ち続けようと心に決めた。
自分を支えてくれたのはまさしくこの『負のエネルギー』だった。」

私の場合、「何故この仕事を今に至るまで続けることができたのか?」を
改めて考えてみると、根底には「悔しさ」があったのだと思います。
幼少期に海外で受けた友だちからの理不尽な言動、
ことばが理解できない恐怖、帰国後の学校や集団生活に
おける違和感などなどです。それらの大元には
「状況をありのままに受け入れることのできない自分へのくやしさ」
だったのだと思います。

鏑木さんは、最後にこう述べています。

「人生が思うようにいかない、そんな経験に費やした時間、
注ぎ込んだ情熱が多ければ多いほど推進力も大きくなるような
気がする。」

大変な境遇に置かれてしまった、自分の力ではどうにもならないなど、
人は生きていると様々な状況に直面します。
でも、鏑木さんの言うように、その一方で人間には
「推進力」というものも備わっているのでしょうね。

非常に励まされる文章でした。

(「今日も走ろう」鏑木毅、日本経済新聞2020年6月24日水曜日夕刊)
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