感激屋 [日々の暮らし]
以前このブログで色々な偶然があることについて書きました。
偶然というのは、本当に思いがけないタイミングで起きます。
もちろん、本人がそうしたことを「偶然」とみなすか
どうかにもかかっているのでしょうね。私のような感激屋(?)は
何でも結び付けてしまいますので、余計「わーい、偶然だ!」
と喜ぶのかもしれません。
たとえば先日のCNNシフトでは、ノルウェー出身の探検家
インゲ・ソルヘイム氏に関するドキュメンタリーを担当しました。
「現代の探検家:インゲ・ソルヘイム」という番組です。
ノルウェーと言えば、ヤンソンスが最初の常任指揮者として
活躍したノルウェー・フィルがあります。しかも
この番組では環境関連の話題もあり、画面に映し出されたのは
ロシアのサンクト・ペテルブルクで開かれたシンポジウムでした。
旧レニングラード時代からヤンソンスが過ごした街であり、
最期を迎えたのもサンクト・ペテルブルクです。これも
偶然といえば偶然ですが、画面に映し出される美しい
街の光景を見ながら、「ここで最期を迎えたのか」と
感慨深いものがありました。
実は訃報の後、私はヤンソンスの生まれ故郷ラトビアに
強い関心が出てきたため、色々と本を借りて読み始めています。
歴史や観光ガイドだけでなく、ラトビア語も同様です。
ラトビア語についての語学書というのはあまりないのですが、
幸い大学図書館に「ニュー・エクスプレス」というシリーズ本があり、
その中にラトビア語もCD付きで配架されていました。
たまたまその本を借りた直後のこと。私の大学授業では
毎週一冊、学生たちに好きな本をグループ内で紹介してもらう
活動をしているのですが、その際にとある学生が
「ニュー・エクスプレス」シリーズを披露してくれました。
私もこのシリーズの恩恵をちょうど感じていたところ
でしたので、これまた偶然に嬉しくなりました。
・・・もっともこのようにしてあらゆるものを「結び付けたがる」
こと自体が私の癖なのでしょうね。車の走行メーターや
時計をたまたま見た際、数字がそろっていたりしただけで
嬉しくなるあたり、要は根っからの感激屋なのでしょう。
偶然というのは、本当に思いがけないタイミングで起きます。
もちろん、本人がそうしたことを「偶然」とみなすか
どうかにもかかっているのでしょうね。私のような感激屋(?)は
何でも結び付けてしまいますので、余計「わーい、偶然だ!」
と喜ぶのかもしれません。
たとえば先日のCNNシフトでは、ノルウェー出身の探検家
インゲ・ソルヘイム氏に関するドキュメンタリーを担当しました。
「現代の探検家:インゲ・ソルヘイム」という番組です。
ノルウェーと言えば、ヤンソンスが最初の常任指揮者として
活躍したノルウェー・フィルがあります。しかも
この番組では環境関連の話題もあり、画面に映し出されたのは
ロシアのサンクト・ペテルブルクで開かれたシンポジウムでした。
旧レニングラード時代からヤンソンスが過ごした街であり、
最期を迎えたのもサンクト・ペテルブルクです。これも
偶然といえば偶然ですが、画面に映し出される美しい
街の光景を見ながら、「ここで最期を迎えたのか」と
感慨深いものがありました。
実は訃報の後、私はヤンソンスの生まれ故郷ラトビアに
強い関心が出てきたため、色々と本を借りて読み始めています。
歴史や観光ガイドだけでなく、ラトビア語も同様です。
ラトビア語についての語学書というのはあまりないのですが、
幸い大学図書館に「ニュー・エクスプレス」というシリーズ本があり、
その中にラトビア語もCD付きで配架されていました。
たまたまその本を借りた直後のこと。私の大学授業では
毎週一冊、学生たちに好きな本をグループ内で紹介してもらう
活動をしているのですが、その際にとある学生が
「ニュー・エクスプレス」シリーズを披露してくれました。
私もこのシリーズの恩恵をちょうど感じていたところ
でしたので、これまた偶然に嬉しくなりました。
・・・もっともこのようにしてあらゆるものを「結び付けたがる」
こと自体が私の癖なのでしょうね。車の走行メーターや
時計をたまたま見た際、数字がそろっていたりしただけで
嬉しくなるあたり、要は根っからの感激屋なのでしょう。
2019-12-25 00:00
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