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頭で考えること、について [日々の暮らし]

紙新聞を読んでいて楽しいことの一つに、
新刊書との出会いがあります。
新聞紙面の下の方、あるいは週1回掲載される
読書欄で、本に関する情報が手に入るのですよね。

そのような偶然の出会いで読んだのが
「美術解剖学とは何か」(加藤公太著、トランスビュー、2020年)でした。

私は昔から絵心がゼロで、大真面目にチューリップの絵より
先に進めないのではというぐらいのレベルです。
子どもの頃、クラスにとても大人しい子がいたのですが、
彼女は絵の天才でした。自分の左手を鉛筆でデッサン
したものを見せてくれたのですが、もうプロレベルと思えたのですね。
ちなみに当時の私は負けず嫌いを自認していましたが、
もう、完全に脱帽でした!

さて、加藤公太氏のこちらの本。
藝大で美術解剖学に出会ったエピソードや、
具体的な方法、また、ヨーロッパではレンブラントや
ミケランジェロが美術解剖の絵を描いたといったことが
綴られています。

一方、私にとって心に響いたのは、「あとがき」に
書かれていた以下の文章でした:

「頭で考えることを繰り返すと、認識が深まって
いくような感じがする。頭の中でシミュレーションを繰り返して
いけば(自分にとって都合の良い)理想ができあがる。
しかし、実際に行ってみると想定通りにならず、
うまくいかないことに苦しむ。頭の中では傑作が
できているが、実際に手を動かすと完成度の低い作品が
できあがるのだ。」(p272)

通訳や講師の仕事をしていて私が個人的に痛感するのは、
読書量や勉強の密度を通じて、自分自身が様々なことに
認識を深めていっているような感じ、いわば
「錯覚」に陥ることです。自分にとっての「理想の通訳者」
「理想の教師像」「人としての理想」など、「理想」ができてくるのですね。

けれども、実際には自分が思い描いていたのと
異なる展開になることがあります。自分一人で
生きているわけではなく、いずれも「クライアント」
「学生」「他者」という存在がありますので、
書籍「だけ」で培った「理想」にはならないのです。

つまり、自分の思い通りにならないからと言って、
自分自身が落ち込んだり不機嫌になったり、
鬱々とした表情を他者に見せたとしても、状況は
変わらないと私は思うのです。

加藤氏はさらに続けます:

「本書の『頭で考えすぎない』姿勢とはどういうことかと
いうと、例えば『体験していないことをあれこれ判断
しないこと』や『推測に推測を重ねないこと』である。
体験せずにあれこれ判断することは、頭でシミュレーション
していることに他ならない。頭で考えたシミュレーションを
実際に行ってみるとその通りにならないことは、
美術作品の制作のみならず多くの物事にあてはまるだろう。」
(p272)

私はこの部分を、人間の生き方として解釈しました。

最後にもう一つ引用を:

「作品のコンセプトも作家のステートメントも同じである。
言葉から導き出された言葉は理想的だが現実離れしていて
抽象度が高い。理想があまりに高いので作品が貧弱に見える。」(p272)

他者や人生への理想があまりにも現実離れしてしまうと、
人は失望してしまい、自分の一生そのものが貧弱に
なってしまうような気が私はしています。

美術解剖学という分野から、思いがけない人生訓を得ることが
できました。著者の加藤氏に感謝です。
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