SSブログ

憧れの存在 [日々の暮らし]

春と言えば卒業・入学シーズンですね。私は過日の片付けで
長らく使っていたジャケットを断捨離した結果、
子どもの式典に着て行くものがなくなったことが発覚!
急遽、レンタルスーツのお世話になっています。

しかも2月から3月にかけては「要スーツ着用」という仕事が
なぜか立て続けに発生。これまで3回お世話になりました。
加算すればひょっとして購入より高くつくかもしれません。
でもその都度違うデザインのスーツを借りるのは私にとって
楽しみでもあります。クリーニングをする必要もなく、
着払い宅配便で返却すればOK。洋服クローゼットをふさぐ
こともなく、気に入っています。ただ、3月4月は
式典が多いので、レンタル・スーツのショップも
あっという間に先約で埋まってしまいます。
早め早めのレンタルが肝心です。

ところで式典と言えば、日本の場合、証書の受け取り方や
関係者の挨拶・紹介など、一通りの形式がありますよね。
卒業式であれば卒業生代表・在校生代表のことばもあります。
ほとんどが時候の挨拶に始まり、お祝いや思い出などが
述べられます。これも立派な日本の伝統・風習だと思います。

私は中2で日本の公立中学に編入したのですが、中3の
卒業式の際、不思議に感じたことがありました。それは
当日、先生方や生徒などが口にしていた言葉でした。

具体的な文言は忘れてしまったのですが、以下のような
ものです:

「上級生(最高学年)としての自覚」
「1、2年生の手本となるように」
「先輩方の後ろ姿を見て」(在校生の挨拶で)

確かこのようなことばでした。

つまり、この源にあるのは、「上級生=下級生の手本」というものであり、
「下級生=上級生よりも未熟」という考え方に私は
思えたのです。

もちろん、人生経験や体の発育からしても13歳と15歳では
違いはあるでしょう。けれども、この根底にあるのが
儒教的なもの、つまり先輩を敬うという考えなのではと感じました。

ただ、私などあまのじゃく的な考えを持っていましたので、
「うーん、そうは言うけれど、下級生でも立派な
学業成績やスポーツ優勝とかしているし。
先輩イコール偉いとは言えないのでは?」と思っていましたね。
そのようなことを強烈に抱いたため、以来、何かを
見聞してもついつい「ホントかな?」と一歩
引いて考えるようになっています。

ちなみに中2まで過ごしたイギリスの学校でも「先輩後輩」は
ありました。けれども日本ほど顕著ではありませんでした。
唯一、下級生から見ても遠い存在だったのは、
Sixth Formと言われる高校3年生たちでした。

彼女たちだけは私服が許され、下級生と比べて校則も緩かったのです。
生徒会長もこの学年が務めており、生徒総会では先生方の次に
発言が許されていましたから、下級生からすれば
憧れの存在でもありましたね。

何はともあれ、年齢を問わず、自分にとって「憧れの存在」が
あるとモチベーションになると思います。
コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。