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目の前の幸せに感謝 [日々の暮らし]

ロンドンでの大学院生活を終えて日本に帰国したのが1994年秋でした。
当時はイギリスで学んだ分野をさらに研究し、できれば
日本の大学で教えたいと思っていました。

ところが当時の日本はバブル経済が崩壊。
「高学歴、高年齢、女性は難しいよ」と言われ、
しかも日本の大学院出身ではないため、日本の学術界に
入るのはハードルが高いと自覚しました。

偶然、かつて学んでいた通訳スクールの先生にご挨拶に
伺ったところ、「ちょうど今、繁忙期なので手伝って」と
言われたのです。それが私のフリー通訳者人生の始まりでした。

とは言え、コンスタントに仕事があるとは限りません。
通訳者としての経験もまだまだでした。
幸い翻訳業の派遣社員となり、とある組織で仕事をするように
なったのです。年は明けて1995年になっていました。

ようやくその組織になじんできたころ、私はスポーツクラブの
レッスン中にケガをしてしまいました。エアロビクスのレッスンで
着地に失敗し(と言ってもそんなに高々とジャンプしたわけでは
なく、単なる注意力散漫!)、足の骨にひびが入ったのです。
土曜日のことでした。急遽整形外科へ行き、ギプスと松葉づえ状態に。
さあ、月曜日の通勤ラッシュをどう切り抜けようか迷いました。

私が乗る電車は郊外から都心へ乗り入れる路線で、
ラッシュのひどさで有名でした。いつもであれば始業時間ギリギリに
間に合う電車で出かけているのですが、松葉づえとなれば
仕方ありません。普段よりもはるかに早い時刻の電車に乗り、
霞が関にある職場に無事到着したのでした。

着いて少し経つと外から消防車や救急車のけたたましいサイレンの
音が聞こえてきます。都心ですのでこれまでも
サイレンの音自体にはなじんでいましたが、尋常ではありません。

地下鉄サリン事件でした。

サリン事件の標的となった路線の一つが、私の利用する千代田線でした。
しかも発生時刻は普段私が乗車する時間帯でした。
ケガをしていたおかげで私は巻き込まれずに済んだのです。

それから数年後、BBCで働いていたときもスタジオ・ビルがテロの標的に
なったり(しかも2度以上!)、ロンドンのターミナル駅で
不審物が見つかり、避難したりということもありました。

今から10年以上前、家族で埼玉県・飯能へ出かけたときのこと。
とある施設で見学を終え、駐車場に停めた我が家の車へ戻ろうと
歩いていました。そのとき、うちの車の後ろに止めようと
バックしていた別の車が、アクセルとブレーキを踏み間違えて
しまったのです。急に暴走したかと思うと激突し、
うちの車が私たちの目の前で吹き飛びました。
もし自分たちが乗っていたら、ケガをしていたでしょう。
これも数秒の差でした。

人の運命というのは、こうしたタッチの差でいかようにでも
変わってしまうと痛感しました。だからこそ、今、目の前の幸せに
感謝したいと思っています。
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