曖昧表現を言い換えてみる [日々の暮らし]
数か月前、国際政治学者・高橋和夫先生の著作を読み、
非常に影響を受けました。国際情勢への洞察もさることながら、
その文体が実に明瞭かつ簡潔で、わかりやすかったのです。
なぜ理解しやすかったのか、私なりに考えてみました。
まず、一文が短いことが挙げられます。
そして二つ目は、曖昧な言い回しが少ないことでした。
私たちは普段文章を書く際、あるいは何かを口頭で表現するとき、
相手を傷つけまいとしてついついあいまいな文末にすることが
あるように思います。具体的には、今、まさに私が
書いた「あるように思います」がその例です。
「あります」と言い切れば良いのでしょう。
けれども「『あります』って言ってしまって良いのかな?
そうではないケースもあるだろうし」と躊躇してしまい、
つい文末を濁してしまうのですよね。
曖昧表現が多いのが、投書欄、とりわけ世情について綴った
文章です。
「世間ではAという現象が起きているようだ」
「しかし私はBという方法を提案したい」
「そうすることで世の中もCという状況に
変わっていくのではないだろうか」
このような具合です。これらを書き換えてみると、
「世間ではAという現象が起きている」
「しかし私はBという方法を提案する」
「そうすることで世の中もCという状況に
変わるはずだ」
ここまで断言することを、なぜか恐れてしまうのですよね。
子どもの頃に暮らしたイギリスで先生によく言われたのが
「あなたの考えを言いなさい(書きなさい)」というものでした。
曖昧表現は日常生活で結構存在します。新聞などにも
見受けられます。最近私は、そうした文章を
あえて断定型に置き換えながら音読しています
(ハイ、声を使う仕事なので、音読は日常生活の一部です)。
非常に影響を受けました。国際情勢への洞察もさることながら、
その文体が実に明瞭かつ簡潔で、わかりやすかったのです。
なぜ理解しやすかったのか、私なりに考えてみました。
まず、一文が短いことが挙げられます。
そして二つ目は、曖昧な言い回しが少ないことでした。
私たちは普段文章を書く際、あるいは何かを口頭で表現するとき、
相手を傷つけまいとしてついついあいまいな文末にすることが
あるように思います。具体的には、今、まさに私が
書いた「あるように思います」がその例です。
「あります」と言い切れば良いのでしょう。
けれども「『あります』って言ってしまって良いのかな?
そうではないケースもあるだろうし」と躊躇してしまい、
つい文末を濁してしまうのですよね。
曖昧表現が多いのが、投書欄、とりわけ世情について綴った
文章です。
「世間ではAという現象が起きているようだ」
「しかし私はBという方法を提案したい」
「そうすることで世の中もCという状況に
変わっていくのではないだろうか」
このような具合です。これらを書き換えてみると、
「世間ではAという現象が起きている」
「しかし私はBという方法を提案する」
「そうすることで世の中もCという状況に
変わるはずだ」
ここまで断言することを、なぜか恐れてしまうのですよね。
子どもの頃に暮らしたイギリスで先生によく言われたのが
「あなたの考えを言いなさい(書きなさい)」というものでした。
曖昧表現は日常生活で結構存在します。新聞などにも
見受けられます。最近私は、そうした文章を
あえて断定型に置き換えながら音読しています
(ハイ、声を使う仕事なので、音読は日常生活の一部です)。
2018-08-30 00:00
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