正解と理想 [英語]
10月に所用でイギリスへ行きました。4年ぶりです。
以前にも増して多文化・多民族になっているなあと
感じましたね。聞こえてくる英語も多種多様。
いわゆるQueen's Englishなどはほとんど耳にしませんでした。
ことばはコミュニケーションの「手段」であり、
その「道具」を使って人間は生きているのだと感じます。
けれども日本に帰国してみると、わずか数日離れていたにも
関わらず、日本の英語関連テキストの広告文句に違和感を
覚えました。以前は何とも感じなかったのに、です。
本の紹介広告を見ると、まだまだ日本の英語学習者は
英語に対して「正解」を求めているように思えます。
こうすれば話せるようになる、これをやればOKという具合に、
「正しいやり方」を実施することが大事と思ってしまうのですね。
私は英語を指導する立場にいることから、受講生の前では
いい加減な英語を使ってはいけないとこれまで強く
思ってきました。いったん口を開いたら、完璧な
単語用法に文法を駆使できなければと感じていたのです。
それができないなら、英語ではなく日本語でと
思っていたのですね。授業の指示出しを英語でと思いながらも、
ついつい日本語の比重が大きくなっていました。
ロンドンのmelting potで多様なコミュニケーションを
実体験した結果、恐れるのは止めようと今は感じます。
自分の理想を追求することはもちろん大切です。
けれども理想と正解を同一視してしまうと、
いつまでたっても出発点に立てません。
理想を頭に描きつつ、まずは行動。
そう感じています。
以前にも増して多文化・多民族になっているなあと
感じましたね。聞こえてくる英語も多種多様。
いわゆるQueen's Englishなどはほとんど耳にしませんでした。
ことばはコミュニケーションの「手段」であり、
その「道具」を使って人間は生きているのだと感じます。
けれども日本に帰国してみると、わずか数日離れていたにも
関わらず、日本の英語関連テキストの広告文句に違和感を
覚えました。以前は何とも感じなかったのに、です。
本の紹介広告を見ると、まだまだ日本の英語学習者は
英語に対して「正解」を求めているように思えます。
こうすれば話せるようになる、これをやればOKという具合に、
「正しいやり方」を実施することが大事と思ってしまうのですね。
私は英語を指導する立場にいることから、受講生の前では
いい加減な英語を使ってはいけないとこれまで強く
思ってきました。いったん口を開いたら、完璧な
単語用法に文法を駆使できなければと感じていたのです。
それができないなら、英語ではなく日本語でと
思っていたのですね。授業の指示出しを英語でと思いながらも、
ついつい日本語の比重が大きくなっていました。
ロンドンのmelting potで多様なコミュニケーションを
実体験した結果、恐れるのは止めようと今は感じます。
自分の理想を追求することはもちろん大切です。
けれども理想と正解を同一視してしまうと、
いつまでたっても出発点に立てません。
理想を頭に描きつつ、まずは行動。
そう感じています。
2017-11-12 00:00
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