独立時計師・菊野昌宏さんの言葉 [仕事]
先日出かけた都内でまたまた(!)フリーペーパーを頂きました。
「COMMONS PAGE」という、三井ビルが発行している冊子です。
2020年第6号の巻頭インタビューには独立時計師の
菊野昌宏さんが掲載されていました。
独立時計師というのは、メーカーに所属することなく、
自らが時計を作るというもの。つまり世界に一つしかない時計を
世に生み出すというものです。
現在、独立時計師は世界に30人しかおらず、
菊野さんはそのお一人です。
もともと菊野さんは高卒後、やりたいことが浮かばず、
陸上自衛隊で整備の仕事をしていたそうです。
そこで機械式時計を上司に見せてもらったのがきっかけで
時計職人を目指し、自衛隊を辞めて専門学校に
入り直したとあります。独立時計師協会(AHCI)に入ったのは
2011年のことでした。
菊野さんは次のように述べています:
「自衛隊の経験で気付いたのは、人はいつ死ぬかわからない、
人の能力には大きな差はない、失敗してもいい、
という3つでした。」
菊野さんは運動が得意でなかったものの、ある程度の
訓練で一定のレベルに到達できることを自衛隊で学んだそうです。
上記の文章を私は通訳という職業にあてはめてみました。
おそらく英語力や通訳能力というのは、もともと
大差はないと思います。ただ、トレーニングを
どこまでやり続けるかが大きいと思うのですね。
「自分には才能がない」と思い込んで途中であきらめるか。
「もともと私は同時通訳ができないから」と言って、
憧れの同時通訳の世界に尻込みしてしまうか。
そこが分かれ目なのだと思います。
私の場合、菊野さんの述べる「失敗してもいい」が
かなり大きいと思います。もちろん、意図的な失敗は
許されませんよね。でも、失敗を通訳現場で恐れてしまっては、
先に進めないのです。よって、私の場合、業務後の帰りの電車内は
「一人反省会場」となっています。
反省する、次の教訓にする、でも引きずらない。
それしかないと思っています。
「時計は僕より長生きして、その間に持ち主が
変わるかもしれません。」
という思いで時計を作り続ける菊野さん。
私が通訳した「内容」も、どこかで何らかの形で
生き続けていくのでしょう。そう考えると、
日々の通訳業務がより愛おしく思えてきます。
「COMMONS PAGE」という、三井ビルが発行している冊子です。
2020年第6号の巻頭インタビューには独立時計師の
菊野昌宏さんが掲載されていました。
独立時計師というのは、メーカーに所属することなく、
自らが時計を作るというもの。つまり世界に一つしかない時計を
世に生み出すというものです。
現在、独立時計師は世界に30人しかおらず、
菊野さんはそのお一人です。
もともと菊野さんは高卒後、やりたいことが浮かばず、
陸上自衛隊で整備の仕事をしていたそうです。
そこで機械式時計を上司に見せてもらったのがきっかけで
時計職人を目指し、自衛隊を辞めて専門学校に
入り直したとあります。独立時計師協会(AHCI)に入ったのは
2011年のことでした。
菊野さんは次のように述べています:
「自衛隊の経験で気付いたのは、人はいつ死ぬかわからない、
人の能力には大きな差はない、失敗してもいい、
という3つでした。」
菊野さんは運動が得意でなかったものの、ある程度の
訓練で一定のレベルに到達できることを自衛隊で学んだそうです。
上記の文章を私は通訳という職業にあてはめてみました。
おそらく英語力や通訳能力というのは、もともと
大差はないと思います。ただ、トレーニングを
どこまでやり続けるかが大きいと思うのですね。
「自分には才能がない」と思い込んで途中であきらめるか。
「もともと私は同時通訳ができないから」と言って、
憧れの同時通訳の世界に尻込みしてしまうか。
そこが分かれ目なのだと思います。
私の場合、菊野さんの述べる「失敗してもいい」が
かなり大きいと思います。もちろん、意図的な失敗は
許されませんよね。でも、失敗を通訳現場で恐れてしまっては、
先に進めないのです。よって、私の場合、業務後の帰りの電車内は
「一人反省会場」となっています。
反省する、次の教訓にする、でも引きずらない。
それしかないと思っています。
「時計は僕より長生きして、その間に持ち主が
変わるかもしれません。」
という思いで時計を作り続ける菊野さん。
私が通訳した「内容」も、どこかで何らかの形で
生き続けていくのでしょう。そう考えると、
日々の通訳業務がより愛おしく思えてきます。
2020-10-11 00:00
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