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写真家・岩宮武二 [日々の暮らし]

3日前からミッドタウンの話題なのですが、実は一番
書きたかったのが今日のトピック。写真家・岩宮武二についてです。

デザイン展の後、外苑東通りを歩いていると、ちょうど左手が
ミッドタウン1階になります。ふと見ると、フジフィルムスクエアという表示がありました。

写真で思い出すことと言えば、93年のオックスフォード大学の同行取材。
そのときカメラマンの方2名がおられ、身近でその仕事を拝見する機会がありました。
以来、個人的には写真に興味を抱きながら現在に至っています(自分の腕前はからきしですが)。

「せっかく通りがかったことだし、さっきの美術展と比べると
店内も空いてそう」と思い、フジフィルムスクエアに入ってみました
ここはフォトギャラリー兼カメラの展示場所で、
ちょうど開催されていたのが、岩宮武二の写真展でした。
「京のいろとかたち」というタイトルにも惹かれました。
昨年末以来、京都も私にとっての関心分野だからです。

今の時代、ネットでも美しい写真は見られます。けれども
実際に撮影したものを引き延ばし、フレームに入れた状態で
展示されているというのもインパクトがあります。
京都の美しさがにじみ出ている、素晴らしい展示でした。

岩宮は1920年鳥取の米子生まれ。商業高校卒業後、
阪急百貨店に入手し、その後はプロ野球のチーム南海に入団します。
そして戦争で満州へ。復員後は神戸で写真店を営むも
火災に遭い、さらに結核を患うなど苦労を重ねたそうです。

説明文書ではフォトクラシックの大澤友貴さんが次のように
解説されていました:

「戦後の混乱期、そして不運の重なった苦しい時期にも
岩宮を支え続けたのが写真でした。食うに困るような状況で
あっても、岩宮は『写真をあきらめようなど、ただの一度も
考えたことはなかった』といいます。」

この言葉は私にとても響きました。私の仕事自体、
「フリー通訳者」であり、聞こえこそ心地よさそうですが、
実際には会社員時代と比べれば福利厚生もなく、体力がすべてです。
病気をしてしまったら何の手当もありません。
それでも長年、この仕事を続けられたのは、私自身が
通訳という仕事によって支え続けられているからなのだと思います。
ゆえに、岩宮のことばを借りれば「通訳をあきらめようなど、
ただの一度も考えたことはなかった」のだと思います。

美しい京都の写真はもちろんのこと、自分の仕事観を
改めて考えさせられる文章に出会えて幸せなひと時でした。

http://fujifilmsquare.jp/detail/20010404.html

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