SSブログ

AI時代到来の中で [日々の暮らし]

放送通訳者としてロンドンで働いていた90年代末。
「いずれ時代は自動通訳機となるのでは?」と
ふと感じました。かつては「若手の有能通訳者がライバル」と
言われていましたが、これからはそれ以上に機械が
自分たちを超えていくのではと思ったのです。
いろいろなところで自動通訳・自動翻訳機が研究されている
と知ったのもそのころでした。

ただ、私自身、当時は「複雑な言語変換を機械ができるまでに
なるには、まだ時間がかかるはず」と思っていました。
話者のニュアンス、微妙な言い回しなどをマシンが解析できる
とは思えなかったのです。

けれども、その考えは間違っていました。

想像以上に機械の発達が著しかったからです。
今ではスマートフォンにそうしたアプリが搭載される時代です。
いかに技術の進歩が著しいかを感じます。

では、人間がこれまで担ってきた仕事というのは、
本当にAIにとって代わられてしまうのでしょうか?
答えはイエスでもありノーでもあると思います。そうした中、
先日読んだプロトレイルランナー・鏑木毅さんのことばに
私は励まされました。日経新聞夕刊の連載に鏑木氏は
次のように綴っています:

「例えば、AIにすぐに取って代わられそうな飲食業の
ジャンルでも、店主の人柄に引かれて客が集うような店であれば、
どんな時代になろうとも客足が途絶えることはないはず。」

私自身、店員さんの「お人柄に惚れ込んで」商品を購入
することがあります。その方の醸し出す雰囲気であったり、
ちょっとした気配りや表情で、「この人は信頼できる」ととらえ、
ファンになるのですね。

一方、鏑木氏は昭和を代表する経営者・松下幸之助氏についても
言及しています。松下氏は「笑顔が素敵な愛嬌のある方」
だったそうです。私も以前、松下幸之助氏の本を読んだ際、
「愛嬌のある人間になれ」という記述を目にした記憶があります。

学歴や成績など、世の中における指標にはさまざまなものが
ありますよね。でも、大切なのは愛嬌があり、信頼できる人格者であること、
その人が持つトータルな人間的魅力だと思うのです。

そう考えると、AI時代がやってきても、まだまだ人間自身が
活動できる場はたくさんあると私はとらえています。

(鏑木毅「AIにないのは『強い思い』」『今日も走ろう』、
2018年10月24日水曜日 日本経済新聞夕刊)
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。